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い」とエールを送る。「べこっこMaMa」のメンバーにとって、神戸はあくまでも避難先。いずれは家族とともに新しい落ち着き先を見つけることになる。ばらばらに住むようになっても活動を続けられるよう、今後は、赤ちゃん用品の開発とネット販売を考えているという。震災を乗り越え、未来へ進もうとする母親たちの活動はまだ始まったばかりだ。農業を続けるのなら移住しかない米の収穫が終わった晩秋、淡路島のタマネギ農家は定植でにわかに忙しくなる。等間隔に穴が並んだ畝に一本一本タマネギの苗を植えていく。農業研修中の久保誉さんの手つきはまだまだぎこちなく、「根を傷めないように土の中にしっかり押さえ込んで」と声が掛かる。誉さんと父親の敬一さんは、福島市で金ゴマの栽培に取り組んでいた。畑に肥料をまく予定だった昨年3月11日に地震が発生。幸い自宅は一部損壊で済み、津波も来なかったため、避難するほどではなかった。しかし、放射線被害の状況が明らかになるにつれ、福島での農業に先が見えなくなってきた。敬一さんは、5月の初め、家族に移住の考えがあることを打ち明けた。「金ゴマ栽培を続けるのであれば移住するしかないと思いました。脱サラで始めた農業ですから畑は借地だったし、子どもも皆成人していたので動きやすかった」家族の賛同を得て、本格的に金ゴマの栽培に適した移住先を探し始めた敬一さんは、兵庫、岡山辺りに目星を付け、まずは兵庫県の新規就農者相談窓口へ向かった。すると、被災者向けに就農支援制度を設けているという。内容は、被災者を兵庫県担い手育成総合支援協議会の研修生として雇用し、県内の農家で栽培方法を学んでもらうというもの。「まったく初めての土地でいきなり栽培するのは難しいと思っていたので、勉強させてもらえるのはありがたかった」と敬一さん。誉さんも「実際に作業しながら学ぶことは大きい。金ゴマが兵庫でも作れるのか、作り方は同じなのか知りたかった」と続ける。支援制度が決め手となり、兵庫への移住を決意。久保さん親子は10月に淡路市に移り住み、敬一さんはタマネギ栽培を行う㈱ショーゼンファームで、誉さんはタマネギはもちろん、米やレタスなども手掛ける広畠尚昭さんの下で研修を受けることになった。周りの人の温かさは故郷と同じ今は、それぞれの研修先で淡路島の農業について教わっている二人。「毎日が新鮮で、今までやってきたこととは違うことも多いので、自分たちの引き出しが増えている感覚」と語る表情は、やる気に満ちている。研修期間を終えたら、島内で農地を借りて独立するつもりだという。金ゴマと他の作物を組み合わせた二毛作や三毛作にも挑戦してみたいと意欲的だ。「淡路島に骨をうずめるつもりで本気で取り組みたい。ここに住んでみて、本当に周囲の人たちが応援してくれていることを感じます。人の温かさは故郷と変わりません。自分たちはすごく恵まれていると思います」と敬一さんは笑顔を見せる。今年6月には、離れて暮らす妻や母親も島に移り、家族そろっての新しい暮らしが始まる。「将来的には金ゴマを淡路島の特産品にするのが夢」とどこまでも前向きな久保さん親子。新天地に根を下ろしたいという思いは、いつの日か淡路の豊かな土地に花を咲かせることだろう。北淡路農業改良普及センターの高部博光さん(右)は、研修先の農家と連携して久保さん親子を指導。「淡路の土は軟らかく有機物も豊富」と敬一さんに教える。「誉さんは研究熱心で何のためにこの作業をするのか聞いてくる。将来有望ですよ」と指導する広畠さん(中央)。?久保敬一さん、誉たかしさん(淡路市)新天地淡路島で金ゴマを栽培したい19