ブックタイトルgokoku2012fuyu

ページ
24/40

このページは gokoku2012fuyu の電子ブックに掲載されている24ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

gokoku2012fuyu

ブックを読む

Flash版でブックを開く

概要

gokoku2012fuyu

~ものづくりの舞台を訪ねて~生野銀山(朝来市)手掘りの坑道から巨大装置まで日本を支えた鉱山の変遷をたどる動きだしそうな雰囲気は繁栄の面影をしっかりと伝えている。も停止から40年近くがたつ。ワイヤーロープこそさびているものの、今にも収まる。作業員を地下へ送り込み、地下から鉱石を運び上げたエレベーターの奥には太いワイヤーロープでつるされた2基のエレベーターがひっそりと一番大きい数字「29」は、地下780メートルにあった29番坑のことだ。巻き揚げ機左右に直径2メートルは優にある巨大ドラムがでんと場所を占めている。表示板でエレベーターの巻き揚げ機は近代鉱山の象徴的存在。階数の表示板を挟んで採掘方法を紹介し、“エレベーターゾーン”へと続く。昭和初期に設置された坑道は、鉱石の搬出に使ったトロッコや削岩機を構えた人形などで近代のの数センチというから、鉱脈を求めて金づちを打ち続けた労力は想像を絶する。るとのみで削った細かな凹凸が伝わってくる。一日に掘り進んだ距離はほんの体勢でのみと金づちを持った人形が作業の様子を再現している。穴に触れに空いた1メートル四方の穴は、発破によって露わになった狸掘りの跡だ。立て膝た岩肌にダイナマイトを仕掛けた跡がくっきりと残る。壁面や天井の至る所長、粟屋勝之さん。アーチ型の坑口に足を踏み入れると、白熱球に照らさればれる手掘りの坑道の両方が見られることです」と㈱シルバー生野の取締役社「生野銀山の特徴は明治以降の近代的な坑道と、江戸時代の“狸たぬき掘り”と呼た金か香なが瀬せ本坑の1キロが公開されており、市内でも人気の観光スポットだ。た坑道は地下880メートル、総延長350キロにも及ぶ。現在、明治時代に開坑し室町時代に本格的な採鉱が始まり、昭和48(1973)年の閉山までに掘られ大同2(807)年に初めて銀の鉱脈が見つかったといわれる生野銀山。生野銀山には3つの資料館がある。「生野銀山文化ミュージアム」では狸掘りの原寸模型を展示しており、実際にくぐることができる。「吹屋資料館」では江戸時代の銀精錬の作業を解説。「鉱山資料館」の鉱山の15分の1の断面模型では、昔の狸掘りが蟻の巣状に広がっている様子がよく分かる。●朝来市生野町小野33-54079(679)2010 6079(679)2755http://www.ikuno-ginzan.co.jp/●坑道見学・開館時間:9時?17時30分(12月?2月は9時30分?16時30分。3月は9時30分?17時)●定休日:12月?2月の火曜(祝休日の場合は翌平日)、年末年始●料金:900円(坑道見学を含む。生野銀山文化ミュージアムのみ別途100円)生野銀山関連スポット22