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仮設住宅で被災者の話を聞く黒田さん(右)。社会福祉協議会のスタッフ、ボ継続できるよう、民生委員や市の人が中心となった支援活動を供したりしている。さらに地元ど住民同士が交流する機会を提したり、ラジオ体操やお茶会な問により心身の健康状態を把握用して支援活動を展開。戸別訪トワークが、兵庫県の補助を活人阪神高齢者・障害者支援ネッに立つ仮設住宅では、NPO法気仙沼市立面おも瀬せ中学校の校庭コミュニティー支援くりを支援するため専門家を派災の復興過程で、住民の要望を兵庫県は、住民主体のまちづの野崎さんは、阪神・淡路大震が野崎さんだった。一級建築士まちづくりり。その時只越地区を訪れたのに寄り添いながらの支援が続く。いいかが分からず、戸惑うばか伝えることが大切です」。被災者かし、誰も具体的にどうすればがここにいます、ということをまでは決まったのですが…」。しなたを理解しようとしている私「裏山への移転を要望しよう、と簡単に理解はできない。でも、あ要望しようということになった。活の状況などは人それぞれで、海が見える高台への移転を市に「震災で受けた傷やその後の生住民が集まり話をしたところ、慮が、心の垣根を低くしている。るという計画に違和感を覚えた。験に裏付けられた細やかな配された、巨大な防潮堤を建設すうにしています」と黒田さん。経の亀谷悟さんは、市から当初示などを挟まず、常に横に座るよ只越地区災害復興協議会代表る。「話を聞く時には、テーブルでいる。旧知の友人のように笑顔で迎え台移転などの計画づくりが進ん仮設住宅の住民は黒田さんを区では、住民が中心となって高組んでいる。さんが支援する気仙沼市只ただ越こし地ミュニティーづくりなどに取り遣している。その一人、野崎隆一ズに応じ、継続的に見守りやコける高齢者支援など時々のニーた。以来、災害復興公営住宅におと、被災者の見守り活動を始めわれることがあってはならないかった命が仮設住宅の生活で失神・淡路大震災の時、震災で助理事長の黒田裕子さんは、阪り組みを行っている。只越地区役員と打ち合わせする野崎さん(左)。場を立ち上げるなど、幅広い取ランティアなどが情報交換する「まちづくりは建築家、事業者、んだ経験がある。を生かしたまちづくりに取り組ング)を設計するなど、住民の声集合住宅(コレクティブハウジスペースなどを持つ高齢者向け聞き、意見をまとめながら交流石巻市遠藤裕昭さん~ボランティア~震災1年、私の心を支えたもの「ここにこうしていられるのも何かの使命」。沿岸部を見下ろす公園でそう話す遠藤裕昭さん。自宅のあった方向を指さす先には、更地となった景色が広がります。震災直後から始まった市立湊小学校での避難生活。家が流され避難所で途方に暮れる中、立ち上がる原動力になったのは「ボランティアの存在だった」と言います。「物資の配給や食事の準備。ボランティアの皆さんがいなかったら何もできなかった。感謝の言葉しかありません」。現在、仮設住宅に住む遠藤さんは、進んでボランティアを買って出る毎日です。支えてくれた人たちへ感謝の気持ちを返すためにも、今、自分ができることをしたい。その思いが、誰かを支え、遠藤さんの一日を輝かせています。14