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~友だち~東日本大震災特集塩釜市で、海藻の養殖業を営む伊勢修夫さん。道具や船を流されながらも何とか漁を再開しましたが、今年は水温が低く、収穫高は芳しくないとのこと。「だけど、少しでも頑張りたいんです」。その気持ちを支えるのは、淡路島にいる友人の存在です。生業を同じくする淡路市の森正安さんとは旧知の仲。17年前、阪神・淡路大震災が発生した時、伊勢さんはリュック一つ背負って森さんの元に駆け付けました。そして今回の震災。恩返しにと森さんから届いたのは5,000個以上の浮き球でした。「道具が渡されたということは、頑張ってやれよということ。だから下を向いていられない」。森さんが浮き球に込めたエールが、今日も伊勢さんを海へと導きます。塩釜市伊勢修夫さん震災1年、私の心を支えたものに説明する、そんな橋渡し役が明し、逆に専門的な情報を住民には、関係者に住民の意向を説の中で住民が主役になるため持った関係者と協働します。そ行政などさまざまな専門知識をろのケアを長期的に行ってきた加藤さんは、保健・医療・福祉従神・淡路大震災の被災者のここら日々の業務に取り組んでいる。こころのケアセンターでは阪や不安、そして後悔を抱えながその状況を踏まえて、兵庫県のない巨大災害を前に、戸惑いと昨年9月に取材した登がある。守るプロである保健師も、経験め米ころのケアに対応していく必要感謝する。住民の心身の健康を複雑化、個別化する被災者のこので本当にありがたいです」とレスの影響も大きくなっている。に足を運び一緒に考えてくれるることなどによる2次的なスト「知識を伝えるだけでなく、現場来の見通しに格差が出てきていアチームの狩野クラ子さんは見えない不安や、生活状況や将城県気仙沼保健所のこころのケえ、生活再建や復興への道筋が業をするつもりです」と話す。宮な課題だ。震災で受けた傷に加地の保健師などと一緒に修正作被災者のこころのケアも大きらも定期的に被災地に行き、現見直す必要があるので、これかこころのケアは、「計画は現状に合わせて常にと復興への意欲を語った。した。センター長の加藤寛さん~つながり~南三陸町山内時子さん(写真中央)区はもっとよくなるはずです」ころのケアの計画づくりを支援を考えたい。そうすればこの地経験を生かし、今後3年間のこ巻き込んで、一緒に只越の未来市にある南三陸町の仮設住宅。"つながり"が欲しい─自治会立ち上げの住民説明会で、不安そうな表情の中ににじみ出ていた皆さんの思いが、心に残っています。あれから半年。再び訪れたこの日、保健師による健康相談会が開催されていて、そこに集った多くの住民がおしゃべりに花を咲かせていました。輪の中にいた山内時子さんに、この一年を支えたものを尋ねると「この集会所でみんなに出会えたこと」。悲しみを分かち合える。しょげていられないと前を向かせてくれる。「みんな同志みたいなもの」。涙を浮かべてそう続けました。9月から育まれてきた"つながり"。今、一人一人の今日を生かし、明日への一歩を後押ししています。る。「被害を受けていない住民も震災1年、私の心を支えたものし、移転計画の検討を進めていを受けながら次の候補地を選定と亀谷さん。今は技術的な助言深くうなずいていた。てくれたので納得できました」に立ち続けてきた受講者たちはんが理由を分かりやすく説明しの言葉に、被災者支援の最前線ことが明らかになった。「野崎さ保健師等への研修で講演する加藤さん。より、できたことを考えよう」とは、工事費が膨大で困難という「できなかったことを反省する初、市に要望した裏山への移転ろのケアについて研修を行った。必要です」と野崎さんは話す。当事者に対し、支援者自身のここ15