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1875- 1962※明治大正昭和プロフィール8(1875)年18(1 8 8 5)年20(1887)年30(1 8 9 7)年33(1900)年34(1 9 0 1)年42(1909)年4(1915)年8(1919)年5(1 9 3 0)年10(1 9 3 5)年21(1946)年24(1949)年26(1 9 5 1)年27(1952)年37(1 9 6 2)年7月、西田原村(現福崎町西田原)辻川に生まれる辻川の大庄屋、三木家に約1年間預けられる茨城県の長兄宅へ移る東京帝国大学(現東京大学)に入学農商務省に入省。2年後に法制局参事官となる柳田家の養子となり、3年後に柳田孝と結婚民俗学における処女作「後狩詞記」を発行、翌年には「遠野物語」を発行大正天皇の即位の礼に参列貴族院書記官長を辞任し、翌年朝日新聞社客員となる「蝸牛考」を発行し、方言周圏論を提唱する雑誌「民間伝承」を創刊枢密顧問官に就任し、日本国憲法の審議に立ち会う日本民俗学会を立ち上げる文化勲章を受章最後の帰郷。母校に当たる田原村立(現福崎町立)田原小学校などで講演する3月、福崎町名誉町民となる。8月逝去山自積宅み書さ斎れでていの一る枚。。机には資料がの問初扉答期を」「の開遠い3部た野。物作語「」後で狩日詞本の記民」「俗石学神?著書「故郷七十年」より私の・民じつ俗は学、へこのの志家もの源小をさ発さし、たとといいうっ運て命よかいらの、である。柳田國男?民俗学者※28