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井戸敏三兵庫県知事■故郷とは故郷という言葉を聞くと、何を思い出すだろう。あの童謡の「ふるさと」の「うさぎ追いしかの山小鮒釣りしかの川」が象徴する農山村風景を持つ育ちの地だろうか。育ちの地だからこそ持つ友達や仲間との共有体験だろうか。水泳とか川遊びやお祭りへの参加などが懐かしい。あるいは、私という人間がそこの持つ歴史や文化に囲まれて成長していったところであろうか。先祖伝来の田畑や山々、そしてお墓があり、自分の原点を意識させられる地である。また、その土地特有の食べ物や狭い地域社会での強いネットワークに包まれた思い出であろうか。これらは、故郷に対する個人的感傷だと決めつけることもできようが、多くの人には、最も心のやすらぐ思い出の地であることも間違いではないだろう。さらに、故郷の持つ連続性と連帯感である。同じ土地、同じ水、同じ空気、同じ学校、同じ地域、同じ体験、同じ慣行、同じ祭り、同じ食べ物、同じ風景などから作られる共通感覚の共有である。この共通感覚は、先輩後輩を問わない。つまり、過去から現在、そして未来へと時間軸に沿っても意識される。またこの共通感覚は、一定の広がりを持つ人々に共有される。県人会や同郷人会、そして同窓会などの活動もこの現れであろう。つまり、横の広がりを持つ。このような故郷は、何も農山村に限ったことではない。大都会でも、都市部でも、街中でも、十分故郷たりうるのではないか。故郷は誰にでもある育ちの地といえる。■忘れられる故郷このような大方の人が持つ故郷であるが、もし故郷の良さや故郷の魅力を感じられない人がいたらどうしよう。単にそこで育ったという認識だってありうる。例えば、外の世界に雄飛するための準備の地や時期にすぎないと決めつけることもできるだろう。この場合、故郷は懐かしい心の原点ではなく、単なる今をつくるための過程にすぎなくなる。私は、このことを懸念している。故郷の山や川の名前も知らない、故郷の歴史や文化も知らない、故郷の祭りや行事にも参加していないなど、故郷を共有していない場合には、故郷の共通感覚が持てないのではないか。育てられないのではないか。■故郷を愛するにはだとすれば、故郷を愛する人をどのように育てていけばよいのか。私は体験教育が重要な役割を果たしてくれると考えている。すでに兵庫は、小学校3年生で環境学習、5年生で自然教室、中学校1年生でわくわくオーケストラ教室、2年生でトライやる・ウィーク、高校1年生で地域貢献ボランティア活動への参加、2年生で職場体験学習インターンシップを行っている。例えば、環境学習である。地域の自然に触れ、地域の人々の協力を得ながら自然観察や動植物の栽培飼育などを行っている。プログラムとしては、里山での体験として、カブトムシの飼育、クヌギの苗づくり、下草刈り等を行って、人と自然との交流を学ぶ。田や畑でのさエやセわッかー