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小磯良平ゆかりのスポット神戸市立小磯記念美術館油彩、素描、版画など約2,500点の小磯作品を所蔵し、3つの展示室で順次紹介している。中庭には神戸市東灘区にあったアトリエを移築・復元。作品に登場する小道具なども見られ、制作の雰囲気に触れることができる。4078(857)5880 6078(857)3737県立美術館小磯良平記念室2階の一室を記念室とし、コレクション展開催中は所蔵する約500点の小磯作品の中から常時約20点を展示。平成24(2012)年11月17日?~2月24日?の「コレクション展Ⅲ」では、1月2日?から「T嬢の像」も登4078(262)0901場する。6 078(262)0903山本通東公園お気に入りだった神戸市中央区の最初のアトリエは空襲で焼失し、現在は山本通東公園になっている。24年10月、その跡地であることを伝える掲示板が設置された。今のバプテスト教会から公園までの広大な土地が小磯邸だったという。美術学校を受験する際、願書に使用した10代のころの写真。着物姿で、表情にはあどけなさが残っている。(個人蔵)松蔭高等女学校(現松蔭中学校・高等学校)洋画同好会の生徒に指導する30代の小磯。制帽のデザインを手掛けるなど、同校とは親交が深かった。(学校法人松蔭女子学院提供)とりわけ少年時代に大きな印象を残しである。そして、東京美術学校(現東京反映された。帰国後は、神戸の自宅横にけた彼らしいエピソードである。化を身近に感じながら育った。洋美術に出合い、感化されたのもこのころな構図や豊かな色彩など、作品に如実には、「御影の風景」。愛する神戸で制作を続礼拝通いを義務付けられるなど、西洋の文チにのめり込み、デッサン力を養った。西品を間近に鑑賞して受けた刺激は、大胆た新制作協会展に最後に出品した油彩画なクリスチャンだった両親から教会の日曜なる。友人に誘われて出掛けた校外スケッメールといったお気に入りの画家たちの作く手掛けた小磯が主な新作発表の場とし神戸のモダンで開明的な雰囲気の中、敬けいけん虔がら本格的に油彩・水彩画を描くようにた本場の空気を肌で感じ、ドガやフェル清せい楚そな女性像をはじめ、人物像を数多父親は貿易商を営んだ。洋館が立ち並ぶ入学すると、図画教師から指導を受けな借りたり、各国を友と旅したり。憧れだっ個性豊かな芸術家を輩出した。生家の岸上家は旧三田九鬼藩の旧家で、県立第二神戸中学校(現兵庫高校)にわたる欧州遊学だった。パリにアパートを尊重する指導で、高松次郎や新宮晋などわう現在の神戸市中央区で誕生した。芸員、辻智美さんは指摘する。校を首席で卒業した翌年からの、約2年にみ、ジャンルにとらわれることなく自由を(1903)年、国際貿易港都としてにぎ36では」と、神戸市立小磯記念美術館の学してさらに大きく成長させたのは、美術学育者として後進の育成にも熱心に取り組近代洋画界に名を残す小磯良平。明治で描いたのは、その辺りが影響しているの若くして才能を認められた彼を画家と内では唯一無二の存在となった。また、教上品で洗練された画風を確立し、日本のに西洋のコスチュームを着た女性像を好んの伝統を継承する写実的な画家として国抜ハ群イのカ西ラ洋な的港な町感で覚培ったしい姿勢は敬意の対象でもありました。後したデッサン力が組み合わさり、西洋絵画も美しいドレスをまとい、しつけなどに厳洗欧練州さのれ伝た統美をを吸追収求し調和の取れた構図など、研究の成果と卓越たのは、外国人の女性宣教師たち。「いつた」と、辻さん。見る者に安心感を与えるそれが、実質的な画壇デビュー作となった。し、吸収しながら理想の表現を追求しまし「T嬢の像」が特選という快挙を遂げる。「彼は生涯、西洋の伝統的な画法を勉強神戸を代表する洋画家時、帝国美術院展覧会への3度目の挑戦でなどの名作を次々に生み出した。遠縁に当たる小磯家の養子となった23歳のスに向かい、「裁縫女」「踊り子」「斉唱」気高く静穏な世界を表現した藝術大学)への進学を機に、19歳で上京。建ててもらったアトリエで黙々とキャンバ29