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す深まります。可能性も高く、彼への興味はますまさん。新たな歴史的事実が見つかるで育った人の気質そのもの」と川見直に生き、義を通すところは、但馬郷土への熱い思い。死の間際まで愚けて働いた彼の根底にあったのは、うです。「故郷を離れ、会津で命を懸涯が少しずつ明らかになってきたそ放映決定後、史実の研究が進み、生する史料は非常に少ないとのこと。藩校で指導に当たりますが、彼に関の兄との出会いを機に会津へ赴き、尚之助は、後に妻となる山本八重や名所を案内してもらいました。イドの川見章夫さんにゆかりの場所目を集めていると聞き、特別に、ガ場すNるH川崎尚之助の出身地として注K大河ドラマ「八重の桜」に登残る豊岡市出石町。この町が最近、江戸時代の城下町の面影が色濃く洋学者ゆかりの地へ。出石注目藩を集出める身の[豊岡市]歴ま史ち人歩をき訪ねる歴史ぶら探り訪私たちが巡りました!武本祐子さん(左)・おさだ長田佳子さん(神戸市)▼▼▼●1出石のランドマーク、辰鼓楼を見学。明治4(1871)年に建設されたもので、時刻に合わせて太鼓を鳴らして時を告げていました。現在は8時、13時に太鼓の音が鳴ります。まず訪れたのは出石城跡。江戸時代の大名、小出吉英が有子山山頂にあった有子山城を麓に移し、平山城を築いたのが始まりです。城の東側の石段には朱色の鳥居が37本連なり、くぐっていけば、二の丸、本丸へ。●2●1出石城跡●▼徒歩5分●2辰鼓楼●▼徒歩8分●3出石明治館●▼徒歩5分●4願成寺●▼徒歩1分●5宗鏡寺●▼徒歩6分●6酒蔵・たくみ工芸●▼徒歩5分●7尚之助生家跡▲N出石川※通常、同コースのガイドは行っていません。同コースについては、但馬國出石観光協会0796(52)4806 0796(52)4815へ問い合わせてください※出石へは、神戸から車で約3時間、姫路から約2時間2今回のコースはこちら!川崎尚之助の故郷を旅する2.5時間コース●7●1253●6●5●4●3●2※肖像画等の史料が残っていないため、川崎尚之助という人物を想像して豊岡市が作成今回の歴史人川崎尚之助天保7(1836)年~明治8(1875)年天保7(1836)年、出石藩士の小役人の子として生まれたとされる。安政3(1856)年ごろ、江戸の医師、大木忠益の塾で学び、蘭学に秀でていたことから、山本八重(後の新島八重)の兄、覚馬に見いだされる。慶応元(1865)年、八重と結婚。会津戦争では八重と共に福島県の若松城(鶴ケ城)に籠城し、新政府軍と戦った。降伏後、八重と離れ離れになり、元会津藩士と斗南(現青森県東部)に移住。外国商人と米の取引を行うが、訴訟を起こされ、裁判中に東京で肺炎のため死去。享年38(数え40)。12