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1936- 1998プロフィール昭和11(1 9 3 6)年平成12月、神戸市に生まれる。父親の転勤で尼崎市へ移る27(1952)年住友工業高校(後の尼崎市立尼崎産業高校)に入学。3年生夏の兵庫県予選は準々決勝で敗退30(1955)年関西大学に進学。翌年の全日本大学野球選手権大会では全試合で完投し、優勝に貢献する34(1959)年大阪(現阪神)タイガースに入団。4月、初登板を完封勝利で飾る6月、初の天覧試合となった巨人戦(後楽園球場)で長嶋茂雄にサヨナラ本塁打を浴びる37(1 9 6 2)年25勝、防御率1.20の好成績でリーグ優勝に貢献。最優秀選手賞に輝く11月、日米野球で初の完封勝利を挙げる(デトロイト・タイガース戦)45(1 9 7 0)年選手兼任監督に就任。通算200勝を達成。シーズン防御率0.98(戦後唯一の0点台)をマークする47(1 9 7 2)年現役引退。通算222勝147敗、防御率2.09。背番号「11」は永久欠番に63(1988)年阪神タイガースの監督に就任。翌年のシーズン終了後、辞任5(1993)年野球殿堂入り10(1998)年8月、直腸がんのため逝去。享年61中学生のころは内野手だった。?著書「炎のエース~ザトペック投法の栄光~」よりという心理に火がついてしまったのはここからである。対東京コンプレックスの裏返しの闘争心。東京がなんじゃい!村山実?プロ野球選手住友工業高校のチームメートと(前列右から2人目が村山)。28