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はいろいろな声もあったかと思います。▼植田ええ。そのころは暗い作品がもてはやされ、宝塚の演出家たちもそちらに傾いていました。だけど、かつての自分が感動した華やかな世界をどうしてもつくってみたいという思いがありました。▽米田しかも、当時人気を博したオスカルではなくマリー・アン「夢但馬2014」の一環として但馬での開催を予定しており、地域の方は大変燃えていらっしゃいます。▼植田当初は毎年明石でやっていたのですが、知事のご発案で、平成14年から地域持ち回りになりました。兵庫県には地域ごとに特色があり、ワンパターンにはならないですからね。伝統芸能や祭りが地域の誇りに▽米田植田さんは日本舞踊の名取でもあり、舞台では日本物も手掛けられていますが、伝統芸能から影響を受けた部分はありますか。▼植田はい。舞台をつくる人間の礼儀や言葉遣いなどは全部、歌舞伎に学んでいます。私の芝居は▼植田そうですね。▽米田宝塚歌劇には「清く、正しく、美しく」という有名な精神があります。▼植田漠然とした大きなテーマですが、常に全員がそれを目指し、守ろうとしているところに100年続いた秘密があるような気がします。宝塚の舞台では品の良さや行儀は最低限守るべきものであり、それが格調につながっているのだと思います。▽米田まさに兵庫県の誇るべき文化ですよね。▼知事宝塚歌劇団と県のつながりは、植田先生との関わりから生まれています。平成18(2006)年に開催された「のじぎく兵庫国体」の開会式のフィナーレでは、全員の「翼をください」の歌とともに1300人のダンスの中に、宙そら組80人の皆さんが加わり華やかに締めていただきました。他県からも「これは兵庫でなければできない」と言われました。また、県内の文化や地域づくりなどを発表する「ふれあいの祭典」のオープニングを宝塚音楽学校の生徒の歌声で飾っていただいたこともありますし、今でも「ふれあいの祭典」の監修は、植田先生にお願いしています。今年は画で何度も見ました。南北戦争に翻ほんろう弄された主人公の人生模様が人々の感動を呼ぶんですね。自分たちの憧れの生き様が宝塚の舞台で演じられ、舞台と一体になれる。だから、宝塚人気は続いているのだと思います。清く、正しく、美しく受け継がれていく伝統▽米田宝塚音楽学校では、2年間の集団生活を送ります。▼植田人間形成や日本の伝統的な教えを徹底していますから、その時は本当につらいと思います。しかし、それらは演じる上でも役に立ち、宝塚歌劇団に入って4、5年たてば「あれがあったから今、私はいる」と言うようになります。卒業後は歌劇団に入るので、上級生は常に上級生です。各組では組長が全てを束ね、一番若い子たちにも神経を使ってくれています。▼知事ボーイスカウトでもそうですが、縦の関係が重要なんですね。今の世代は横のつながりが多いですが、音楽学校は先輩を大切にするし、先輩は後輩をきちんと指導したりかばったりする。異年齢交流の良さが発揮されていますね。トワネットを軸にして舞台をつくられましたね。▼植田たまたま脇にいるオスカルが女性でありながら男装してフランス革命で命をささげるという役柄で人気が出ました。オスカルに焦点を当てることで「人気におもねている」と言われるのは絶対に嫌だから、宝塚の矜きょうじ持としてきっちりやろうということで、原作者の池田理代子先生が描きたかったアントワネットの生涯を中心に据えました。▽米田続くヒット作「風と共に去りぬ」では、男役が初めてひげを付けたそうですね。▼植田当時はトップスターがひげを付けるなどとんでもないことで、怒られもしましたが、「宝塚だからできません」ではなく、チャレンジした方がいいと思いました。主役を演じた榛はるな名由ゆ梨りも「先生、やってみましょう」と言ってくれて。ひげを付けて台詞を言うのは顔の筋肉の使い方が変わるため、朝から晩までひげを付けたまま生活していたそうです。▼知事その作品は私も映25年の「ふれあいの祭典」は阪神南地域で開催され、新酒番船パレードなど多彩な企画で地域文化を発信。14