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英雄の真の姿が浮かび上がります。を訪ねれば、激動の時代を生き抜いた御着城跡や姫路城など、軍師の足跡つながったのでしょう」と芳賀さん。城仕えが、後の戦略家としての活躍にに奔走したそうです。「幼少期からのを見極め世相の先を読み、主家のため時の御着城主、小寺たけていた官兵衛は、わずか政まさ職もとの側近に16歳。で人当幼いころから頭の回転が速く文武に場所を案内してもらいました。歴史に詳しい芳賀一也さんにゆかりの立ちに迫ろうと、今回特別に、姫路の大河ドラマでも話題の人物。その生い下取りの陰の立役者といわれ、NHKです。織田信長、豊臣秀吉が進めた天私たちが巡りました!家臣の家に生まれたのが、黒田官兵衛関灘成美さん(左)、髙﨑百加さん(神戸市内の大学3年生)の世、この地に居城を構える小寺氏の時代にかけて交通の要所でした。戦乱が通る御着地区は、戦国時代から江戸姫路市南東部、京へ続く旧西国街道官兵衛が晩年に領地を得た大分県の出身なので、若いころを知るのがとても楽しみです。故郷を巡る。戦国天下一統一のに貢軍献し師たの[姫路市]歴ま史ち人歩をき訪ねる歴史ぶら探り訪●1▼▼JR「御着」駅から徒歩10分の姫路市東出張所前で集合。初めに、芳賀さんから黒田家繁栄のきっかけ「メグスリノキ※」について聞きました。すぐ脇には官兵衛の功績をたたえる顕彰碑も。おわんをひっくり返したようなかぶとは、黒田家の繁栄と戦での無事を祈ってしゅうとから贈られたものだそうです。●2石碑から目と鼻の先びょうしょにある黒田家廟所には、官兵衛の祖父と生母が祭られています。しっかりと手を合わせ、あいさつを済ませました。●1姫路市東出張所●▼徒歩2分●2黒田家廟所●▼徒歩2分●3天川橋●▼徒歩10分●4御着大歳神社●▼徒歩7分●5小寺大明神(天川神社)●▼車20分●6姫路城今回のコースはこちら!官兵衛ゆかりの地を巡るコース※通常、本コースのまち歩きは実施していません▲Nごちゃく山陽新幹線312問姫路市観光交流推進室079(287)3652 079(287)3657※御着へは、神戸から車で約1時間30分ひろみね※メグスリノキを原料とする黒田家秘伝の目薬を、廣峯神社でお札と一緒に売ってもらったところ、よく効くと評判に。官兵衛の祖父は財を得て、広い土地を持ち、家来を召し使う身分にまでなったといわれています2天川山陽本線●5●2●4御着城跡公園●1●3今回の歴史人天文15(1546)年~慶長9(1604)年天文15(1546)年、御着城主の家老、黒田職隆の嫡男として生まれる。17歳で初陣、22歳で家督を継いで姫路城主となる。いち早く織田信長の将来性を見抜いて近づき、天正8(1580)年にはその家臣である豊臣秀吉に毛利攻めの拠点として姫路城を献上。以降、秀吉の懐刀となって中国攻め、四国・九州征伐など数々の戦で活躍する。48歳で出家し如水と名乗ってからも、関ヶ原の戦いに際しては九州で奮闘するなど晩年まで軍師として腕を振るう。享年59。福岡市美術館蔵(黒田資料)黒田官兵衛(如水円清)16