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御着城本丸跡には、政職を含む城主三代と当時の戦死者を祭る小寺大明神(天川神社)があります。政職の子どもの代わりに自らの嫡男を人質に差し出すなど主君への強い忠誠心を表すエピソードを聞き、その人となりにますます興味が深まりました。官兵衛が登下城に使ったといわれる道をたどり、車を走らせること約20分。生誕の地、姫路城にやって来ました。経済に明るい祖父や父親の影響で、城内には旅人や商人が頻繁に出入り。幼いころから彼らと接することで、人を見る目、金や情報をうまく使う方法など、戦国の世を生き抜く力を自然と身に付けていったといいます。▼▼●5本丸跡に立つ天川城址小寺城主之奥都城の碑天保時代の絵馬が残る御着大歳神社は、いつ建てられたか分かっていません。本丸に近いので、主君の小寺政職も訪れたかも。●4▼足を延ばして行ってみよう▼▼城の前での記念撮影のため、隣接する神社で挙式の新郎新婦を運ぶ人力車。特別に少し乗せてもらいました。●6豊臣秀吉が造らせたといわれる石垣を見ながら登っていくと、「にの門」の西面の上方に十字紋の鬼瓦が見えます。38歳でキリスト教に入信した官兵衛にゆかりのあるものとも、魔よけの文様ともいわれています。▼●3御着大歳神社へは、官兵衛や秀吉が利用したといわれる旧西国街道を通ります。城下町の面影が残る古い町並みを歩きながら、官兵衛の偉業、尊敬する盟友や仕えた武将との逸話を聞かせてもらいました。廟所に隣接する太鼓橋は、文政11(1828)年、天川に姫路藩が造ったものだそう。昭和47(1972)年に水害に遭い、200メートル離れた所から城の堀跡のある現在地に移されました。▼17