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やりがいがあります二足のわらじは大変だからこそ棋界の発展にも尽力したい勝負にもこだわりたいし[将棋棋士、(公社)日本将棋連盟会長]谷川浩司さん夢追人Tanigawa Kojiたにがわ・こうじ昭和37(1962)年、神戸市須磨区生まれ。5歳から将棋を始め、14歳でプロ棋士に。58年に史上最年少の21歳で名人位を獲得し、翌年には九段に昇段。最短の手数で敵玉を討ち取る〝光速の寄せ?でタイトル獲得数は27期を誇る。平成9(1997)年には通算5期となる名人位を獲得し「永世名人」の資格を得る。24年12月、(公社)日本将棋連盟会長に就任した。帰るのは月に10日ほどです。対局の研究も十分に東京の将棋会館を拠点としており、神戸の自宅に現在、週3日は公務に時間を取られています。話を聞くよう心掛けています。を掛けるのではなく、まずは相手の立場に立ってンとの交流では、ただ「頑張ってください」と声す。私も阪神・淡路大震災で被災しました。ファ災後は特に東北地方へ積極的に足を運んでいま手分けして全国各地へ出向きますが、東日本大震将棋の普及活動にも力を入れています。全会員でまた、対局の解説会や子ども向け将棋教室など、会い、最後は優勝棋士を表彰します。長は大きな棋戦では前夜祭に出席し、対局に立ち戦やトーナメント戦など各種棋戦の主催です。会よって組織されています。活動の中心はタイトル日本将棋連盟は棋士や女流棋士、指導棋士らにないだろうと思い、会長を引き受けました。は戸惑いました。でも、その時点では自分しかい専務理事に就きました。米長先生が急逝された時50歳を一つの区切りと捉え、3年前の49歳の時に運営に携わるように」と言われており、私自身もきましたが、数年前から米長先生には「そろそろ士になって以来、自分の対局のことだけを考えて会長に就任して1年が過ぎました。14歳でプロ棋米長邦雄前会長の遺志を継ぎ、日本将棋連盟の[上]昨年5月、岩手県宮古市で行われた名人戦に立ち会った際、市内の中学校を訪問。生徒会長の女生徒に将棋盤と駒を贈呈した(写真提供:月刊将棋世界)。[下]日本記者クラブの昼食会に招かれた時は、子どもへの将棋の普及、コンピューター将棋ソフトと棋士との関係などについてスピーチした。24