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横溝正史ゆかりのスポット横溝正史生誕地の碑東川崎町の自治会や神戸探偵小説愛好會などによって平成16(2004)年、東川崎公園に建てられた。2つのメビウスの輪が組み合わさったデザインは当時、神戸山手大学の教授だった武田則明さんによるもの。複雑に絡まった難事件を名探偵が解決するイメージを表現している。みなと元町駅神戸文学館近代に活躍した神戸ゆかりの小説家や詩人、文学者にまつわる品々を年代順に展示。横溝関連では、昭和51(1976)年9月から翌年8月にかけて新聞に連載した「真説金田一耕助」の生原稿、直筆のはがきなどが見られる。46078(882)2028れんが造りの外壁は、横溝が第二神戸中学校を卒業後に勤務した第一銀行神戸支店のもの。明治41(1908)年の建築で、設計は東京駅丸の内駅舎を手掛けたことで知られる辰野金吾。昭和54(1979)年、妻孝子さんと軽井沢にて。昭和40年代に大半の作品が文庫化されたのも人気に火を付ける要因に。おどろおどろしい表紙絵も話題となった。が「須泊悪磨ま魔寺っがのた来近宿りくのてモに笛デあルをると吹旅なく館「っ」たで寿。金楼田」は一、年には専業作家になるが、日中戦争から「日本を舞台に西洋の怪奇趣味を巧みにして確固たる地位を築いた。終生、神戸弁が抜けなかったという。京し、出版社に入る。昭和7(1932)が読者をあっと言わせた。なトリックで、本格推理小説の第一人者とや記憶に残る情景がたびたび登場。また年後、親交があった江戸川乱歩の誘いで上作品で、金田一が解決する数々のトリックの作風とは一線を画する怪奇的で論理的て笛を吹く」をはじめ、作品には神戸の街ろしき四エイ月プリ馬ル・フ鹿ール」が雑誌や「八つ墓村」などの作品を量産。戦前大正10(1921)年、の懸19歳賞でに処入女選作。「5恐件」は、カーの作風に触発されて書いた郷里への愛着は格別だった。「悪魔が来り終戦後の21年に発表した「本陣殺人事晴らすかのようにハイペースで「獄門島」かったが、探偵小説家としての扉を開いたの書き手を志すようになった。推理作家、J・D・カーの本を熟読した。「本陣殺人事件」以降、戦時中の鬱うっ積せきを上京して以来、帰郷する機会は少な理小説に夢中になり、いつしかミステリー訳家の西田政治から送られてくる英国のとはなかった。れた。中学時代、古書店に並ぶ海外の推かき立てられる。一方で、神戸の友人で翻年品、で現知在らのれ神る横戸溝市正中史央は区、明東治川崎35(町1で902生ま)因習や生活にまつわる話に大いに興味をた横溝は、地元の人々と交流を深め、村の映戦画後やにド作ラ風マをも確評立判に勢は56年に79歳で亡くなるまで衰えるこム”に応え、長編作を次々と発表。その筆古希を過ぎて沸き起こった“横溝ブー名探偵、金田一耕助の活躍を描いた作20年から3年間、岡山の農村に疎開し談をうまく絡ませています」と語る。一躍全国に知られるようになった。ミ港ス町テのリ古ー書と店出で合うで食いつないだ時期もあった。をつくりました。伏線にも村に伝わる怪の作品が映画化、ドラマ化され、彼の名は説に対する検閲は厳しくなり、時代小説は足跡が残っていないという日本式の密室の一族」が上映されたのを皮切りに、多く太平洋戦争へと戦局が進むにつれて推理小た屋敷の離れで殺人事件が起き、周りに集は好評を博し、さらに51年に「犬神家陣殺人事件』は、降り積もった雪に囲まれる。45(1970)年に刊行された初の全室ものに不向きとされていましたが、『本と、再び本格推理小説を求める声が高ま本格推理小説の大家があった野村恒彦さんだ。「日本家屋は密込むが、社会派の人気も落ち着いてくる小説愛好會の代表で、晩年の横溝と交流リーの台頭により、連載数が大きく落ち空前のブームを起こした取り入れた作品」と評するのは神戸探偵昭和30年代半ばからの社会派ミステ29