ホーム > 県政情報・統計(県政情報) > 県民局・県民センター情報 > 阪神南県民センター > 平成28年12月センター長メッセージ

ここから本文です。

更新日:2016年12月1日

意識しよう!自転車マナーアップ自転車も歩行者も住みよい地域を目指して

阪神南地域は、平たんな道が多く、自転車利用者数が多い地域です。同時に、自転車の交通事故発生件数が県内で一番多い地域でもあります。自転車に乗る人も、歩行者もお互いが気持ちよく暮らせる安全なまちづくりを目指して、道路の整備やマナーアップの呼び掛けを実施しています。

自転車関係事故の地域別発生状況

問合せ阪神南県民センター総務防災課TEL:06-6481-7690FAX:06-6481-8184

自転車のルールを確認しよう

幼児や児童(13歳未満)、高齢者(70歳以上)が運転する自転車以外は、車道の左側を通行することが原則です。自転車のルールを守り、安全な走行を心掛けましょう。

自転車安全利用五則

高校生の安全宣言!マナーアップフォーラム

県内で発生する自転車事故の約13%が高校生による事故です。10月30日に、高校生の自転車事故防止を推進し、正しいルールや交通安全の知識を深めるため、阪神南管内の公立高校生を対象としたマナーアップフォーラムを開催しました。

企画運営

 

フォーラムの企画、運営は、代表校(県立尼崎・鳴尾・芦屋高校)のメンバーが行いました。

 

シミュレーター

 

尼崎南警察署の指導で、実際の走行を擬似体験できる「自転車シミュレーター」を使った実技体験をしました。

 

ワークショップ

 

各校のマナーアップの取り組みについての情報や意見を交換し合うワークショップを実施しました。

 

宣言

 

参加校の代表が交通安全宣言をし、各校で交通ルールを守る取り組みを進めることを誓いました。

 

安全な自転車利用環境づくり

 

 

県道への自転車道や自転車レーンの整備を進めています。

 

問合せ西宮土木事務所
●TEL:0798-39-1541●FAX:0798-34-3097

自転車道(大阪伊丹線若王寺)

阪神南の街道をゆく8(中山道(尼崎市)(後半))

尼崎市北西部で、蓬川(浜田川)や庄下川(西富松排水路)の源流である「六樋」をたどるルートの後半です。
中世末から近世初期にかけて武庫川東岸の西昆陽村、富松村、西武庫村に計6つ(野間井・生島井・武庫井・水堂井・守部井・大島井)の取水井堰が設けられ、尼崎市西部の農業用水をまかなっていました。

尼崎市の中でも高級住宅地として知られる武庫之荘は、この流れに育まれた「水と緑のまち」でもあります。

ということで、今回は、阪急武庫之荘駅から尼崎市北西端の六樋取水口までを歩きます。

中山道(尼崎市北西部)(六樋のうち野間井以外は記載を省略しています)

武庫之荘17橋

阪急電鉄の創始者小林一三は、田園風景の広がる武庫之荘駅北側にも住宅地を開きました。伊丹台地の微高地の拡がりにあわせ、六甲山を借景とする計画的な開発が行われ、駅から北西へと伸びる水路には橋が架けられました。はじめて来た人の目印になるよう「一の橋」から「十七橋」まで名前がつけられ、今も「数え橋」として愛されています。

ところで、中山道のルートは、駅の東の西富松排水路(西富松川=庄下川の上流)沿いに北上します。この水は六樋の1つ、生島井組から流れてくるもの。ということは、庄下川には武庫川の水も流れていることになります。

武庫之荘17橋

武庫之荘駅の北東の西富松排水路

常吉須佐男神社

武庫荘

駅から10分ほど北に歩くと、常吉須佐男神社の北が武庫之荘本町です。このあたりは「武庫荘」と呼ばれていた荘園の中心。鎌倉時代に順徳天皇の皇后の東一条院立子(1192~1247年)の寄進により春日社・興福寺領となり、戦国時代まで存続したといいます。武庫荘会館の隣には鎌倉時代の十三重石塔の残欠があり、周囲には古いまち町並みが残っています。
武庫荘周辺は、伊丹台地の南端に位置する標高5~10mの微高地で、古くから集落が発展してきました。武庫之荘本町2丁目では弥生時代中期の集落跡「武庫庄遺跡」が発掘され、竪穴住居跡、方形周溝墓や土器・石器・サヌカイト片などが出土し、平成8年の調査では巨大な棟持柱をもつ大型掘立柱建物の一部も発見されました。
ここから中山道は北上しますが、周囲はすっかり住宅地となっており、白衣観音寺あたりにわずかに古い町並みが残るだけです。同寺は、奈良時代に行基が創建した昆陽寺の塔頭の一つ。毘沙門天立像は市内では数少ない平安時代の仏像ですが、拝観はできません。

武庫之荘本町の祠と十三重石塔残欠

武庫之荘本町の古いまち町並み

白衣観音寺

六樋

中山道に街道らしさを期待するのはあきらめ、ルートを西北へ外れ、六樋の源流をめざして、白衣観音寺の西を流れる水路を遡ることにします。六樋の1つである野間井の流れは、時友神社をかすめ、尼宝線、国道171号線をくぐって、武庫川へと伸びていきます。
30分くらい歩き、国道171号線から200メートルほど行くと、南に伸びる生島井・武庫井とあわせ計3本の水路が並行して走り、やがて西昆陽須佐男神社の西の分水地点に着きます。
すぐ西の武庫川堤防上の道路を北に200メートルほど歩き、信号を渡ると、武庫川に注ぎ込む天王寺川の河口左岸に取水口があります。取水口の様子は木が茂って見えませんが、地面(!)に説明プレートがはめ込まれています。昭和3年の武庫川大改修に伴い、堤防にあった6つの農業用水の取水口を集約し、この場所に1つの取水口(六樋)をつくったとのこと。信号の東側には、武庫川六樋合併の50周年と70周年の2つの記念碑が立ち、すぐ下の取水出口からは武庫川から取り入れた水が流れ出していきます。

六樋取水口の説明プレート

武庫川六樋合併記念碑

六樋の第4分水地点(左端が守部井組への流れ)

六樋のうち、野間井は永禄年間(1558~1570)頃にはすでに存在していたとのこと。水の確保は農民たちにとって死活問題で、六樋の井組同士だけでなく、武庫川対岸の百間樋井組(阪神南の街道をゆく5(平成28年8月)参照)との間でも水論が繰り返されました。大坂町奉行所の裁定で、6分・4分の割合が確定され、川筋がどこになっても取水する樋の横幅を野間井2尺4寸、百間樋1尺6寸とするよう定められたといいます。
尼崎・西宮は、いわゆる「非領国」地帯で川筋や村々の領主が異なる場合が多く、大坂町奉行などにより裁判が行われたことが特徴とされています。江戸時代にも、県民センターのような広域的な総合調整機能が求められたということでしょうか。

過去のセンター長メッセージ

お問い合わせ

部署名:阪神南県民センター 県民交流室

電話:06-6481-7641

FAX:06-6481-8148

Eメール:hanshinm_kem@pref.hyogo.lg.jp