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更新日:2017年2月1日

みんなで描こう、実現させよう、阪神南地域の夢

地域の夢や将来像を描き、2030年ごろの社会を展望した指針「阪神市民文化社会ビジョン」。4つの目標(夢)の実現に向けて、公募で選ばれたビジョン委員64人がさまざまな活動をしています。また、県民の皆さんと意見交換をする夢会議を毎年開催し、ビジョンを共有する機会にしています。ビジョン委員と一緒に、兵庫の未来について考えてみませんか。

より詳しい活動内容はビジョン委員会発行のビジョン通信またはホームページへ。

 

「第8期阪神南ビジョン」

ビジョン通信


多様で個性的なライフスタイルを育むことができる社会をつくる

◆ハート&アートグループ

文化を通した触れ合いの機会や多文化共生を図るため、アートに触れる美術展や多文化交流イベントなどを開催。
◆阪神南ふれあい美術展◆
2月28日(火曜日)~3月5日(日曜日)
10時~18時(最終日は17時まで)
西宮市立市民ギャラリー2階・3階

世界の国々を知ろう(10月)


自然と豊かに調和した安全・快適な都市環境を創造する

自然と共生するまちづくりグループ◆

地域の自然保護や自然豊かで美しいまちづくりを実現するため、クロマツの保全を中心とした生態系維持に貢献する植生活動、街路樹・公園・河川の環境保全、自然環境シンポジウムなどを開催。

大野山自然観察会(9月)


自律と協働による温かいコミュニティをつくる

◆LOVEAOZORA(あおぞら)グループ◆

「青空」のように年齢や障害を越えたコミュニティー活動を促進するため、学び、実践できる多世代交流イベントなどを開催。
◆公開講座毎日イキイキと元気に心とカラダをリフレッシュ2◆
3月5日(日曜日)13時30分~16時
尼崎市中小企業センター502研修室

AOZORA夏まつり(8月)


豊かさとにぎわいを創出する新たな阪神経済を展開する

◆あにあんクリエイトグループ

地域のにぎわいを創出するため、尼崎(あ)・西宮(に)・芦屋(あ)を愛し、楽しむ人(ん)として、歴史や文化、著名人、農作物、産業など魅力ある地域資源を活用した街歩きイベントや講座を開催。

海から見よう! 阪神間の景色(10・11月)

海から見よう!阪神間の景色(10・11月)

ビジョン委員と兵庫の夢を描こう!

平成28年度阪神南地域夢会議参加者募集

「兵庫2030年の展望~阪神南のイマとコレカラ~」をテーマに、ビジョンや委員の活動と連動した4つのテーマ、「ひとと暮らし」「まちや地域」「安全安心」「産業としごと」についてグループに分かれて意見交換。学識者等からの助言もあります。ビジョン委員と共に地域の現状と未来の夢を語り合いましょう。

アニワン
日時:2月25日(土曜日)13時~17時15分(12時30分受付開始)
場所:尼崎商工会議所701会議室
定員:60人(先着)
参加費:無料
申し込み:2月20日(月曜日)までに下記へ

問合せ:阪神南県民センター県民運動課TEL:06(6481)4542FAX:06(6482)0579

阪神南の街道をゆく9(中国街道(西宮市))

中国街道は、「天下の台所大坂」から「城下町尼崎」と「門前町西宮」を結ぶ交通路として賑わいました。
今回は、第4回(平成28年8月)に引き続き、武庫川から西宮神社までを歩きます。

中国街道(西宮市東部)

中国街道(西宮市)

岡太神社

阪神電鉄武庫川駅の西口を出て小松商店街を北に行くと、200メートルほどで旧国道筋に出ます。小松の渡しで武庫川を渡った中国街道は、この旧国道沿いに西へ延びていきます。
すぐ南側に見えるのが岡太神社です。平重盛の小松城跡であることは「阪神南の城跡をゆく6」(平成27年10月)で紹介しましたが、岡太神社には他にもいくつかの遺跡があります。重盛供養塔の隣にある白山宮は「歯神さん」と呼ばれ、松の皮をかんでお願いすると、歯の痛みがなくなるとか。天正10(1582)年、明智光秀の家臣四方但馬守は豊臣秀吉を見つけ、主君の仇をとろうと刀を口にくわえ相手を両手で押さえますが、刀が口から落ちて、逆に打ち取られてしまいます。「歯が強かったら勝てたのに」と哀れんだ村人が、祠を立てて祀ったといいます。歯周病の私は、しっかりと拝んでおきました。
岡太神社を過ぎると、旧国道沿いに街道らしい雰囲気はありません。面白くないので南に折れ、線路沿いまで行くと一本松公園があります。鳴尾には、松に関わる地名や伝承が多くありますが、中でも「鳴尾の一本松」として歌に読まれた古木は「朝日には兵庫の浦に影うつり、夕日には暗峠(大阪府と奈良県の境)にその影うつり」と言われるほど高く、「霞の松」と呼ばれました。一本松公園には弘化2(1845)年の石碑がありますが、碑文の3代目は昭和19(1944)年9月の水害で枯死。現在は5代目の松が植えられています。

鳴尾の戦跡

一本松公園から100メートルほど北に戻ると、寿公園があります。山茱萸(サンシュユ)が咲く公園として有名ですが、中央に高さ4~5メートルの台座が残っています。この上には烈叟辰馬半右衛門の乗馬像がありましたが、昭和17年の金属供出で撤去されてしまいました。烈叟は、明治期に酒造業や廻船業を営み、鉄道誘致や学校建設など村の発展に寄与した人。後に鳴尾村決議により台座が復元されたのは、その功績を讃えてのことでしょう。
旧国道に戻り、本郷学文筋を北に折れます。中央の水路には石造りの橋が約50メートルおきに架かりますが、学文公民館の北東の橋の側壁には、抉ったような爆弾の痕跡が残っています。川西航空機や昭和電極など軍需工場が密集していた鳴尾は8回も空襲を受けました。特に昭和20(1945)年8月5日夜から6日未明にかけての空襲は大規模なもので、橋の上でもたくさんの方々が亡くなったといいます。
現在は、小中高の学校が立ち並び、子どもたちの元気な声が響く文教地区。戦後まもない昭和30年に町名を「学文殿」とした地域の人たちの思いを偲び、平和のありがたさを実感します。

鳴尾の一本松

烈叟辰馬半右衛門の乗馬像台座

本郷学文筋の爆弾の痕跡

今津

旧国道に戻らずその1本北の道を西へと進みます。甲子園筋の少し手前に四軒茶屋公園という小さな公園があります。ここは昔は枝川でしたから、増水時に足止めされた旅人のために茶屋ができ、冷やした西瓜が名物だったといいます。一方の西側の茶屋は餅が名物で、毎日、六石(840キロ)の餅をついたので、渡しも「六石の渡し」と呼ばれるようになり、「甲子園六石町」としてその名が残っています。
中国街道は、名神高速道路の下をくぐり、今津駅の方向へ伸びていきますが、道路ぞいの土地は周りに比べて少し高くなっています。西宮は、昔は「務古水門(むこのみなと)」と呼ばれる入海が、阪急電車の線路を超えて越水のあたりまで広がっていたといいます。中国街道が通る今津駅東側は、その入り口東側に突き出た砂嘴。今津駅から東川のあたりまでは海の底でした。
ところで今津は、私にとって思い出深い地。友人と初めて成人映画を見た場所でもあります。映画館が3館くらいあったはずですが、駅東の方は跡形もなく、駅西の方はカラオケ店になっているのがあの建物でしょうか。今津には水木しげるさんも昭和30年頃にも住んでいたとのこと。水木さんもあの映画館に行ったのだろうか。その頃は成人映画ではなかったでしょうけど。。。。。

四軒茶屋公園

阪神電車線路付近から見た中国街道の高さ

水木しげる邸跡の商店街

本町筋

阪神電車の高架をくぐって旧国道をさらに西に進むと、福祉センター筋を渡るところで道が二股に分かれます。左手(南側)が旧国道ですが、中国街道は右手(北側)。しかし、左手をまっすぐ行っても西宮神社に行けますし、右手は東川を渡ったあたりで道が途切れてしまいます。北から来た西国街道と合流してから南下していたとのことですが、合流点もはっきりしません。
近くの称念寺には立派な山門があり、西宮神社の赤門に対して黒門と呼ばれましたが、昭和25年のジェーン台風で倒壊してしまいました。黒門から赤門までの道筋は、平安時代末から門前町・宿場町として栄えた西宮の中心で、本町と呼ばれています。神社の正面は南向きが多く、本来、西宮神社の正門は宮前町側の南門で、赤門は裏門のはず。しかし、称念寺の北側が与古道(よこ(=横)みち)と呼ばれていることからみても、西宮のまちは赤門前を東西に延びる本町筋(中国街道)を中心軸として発展したのでしょう。
本町筋が札場筋と交わるところに「蛭子神(ひるこしん)御輿屋(おこしや)伝説地」の石碑があります。「蛭子神」とは、西宮神社の祭神のえびす様のこと。『古事記』などによると、蛭子神は葦船に乗せられ海に流されていたのを、鳴尾の浜の漁師が引き上げて、祀ったといいます。その後、えびす様が西宮神社へと移動する際、途中で疲れて昼寝をしたと伝えられているのがこの場所です。

御輿屋伝説地

西国街道との合流点付近に残る地蔵

西宮神社の赤門(表大門)

大練塀と社叢

中国街道は赤門(表大門)に突き当たって南に折れ、国道43号線沿いに再び西へ向かいますが、豊臣秀頼が寄進した高さ9メートルの赤門(表大門)や南北247メートルの土づくりの大練塀ができるまでは、まっすぐ西へ延びていたといわれています。
昭和54年の西宮神社社頭遺跡の発掘調査では、赤門の南西部の大練塀内から12~15世紀の土器や輸入陶磁器が大量に出土しており、当時このあたりは社域ではなく、一般人の生活場所だったと推定されています。17世紀初頭(慶長期)を境に遺物が途絶えることも、大練塀などの築造時期と符合しますし、社叢内にも土手状の盛土列が残っていることからも、大練塀築造前の築地塀は、赤門からまっすぐ西に伸びるラインに沿っていたのでしょう。
西宮神社の社叢(えびすの森)は、昭和36年に兵庫県の天然記念物に指定されましたが、周辺の宅地開発が進み地下水脈が断たれたため、亜熱帯由来の外来種である棕櫚が繁茂するなど植生に大きな変化が生じていました。このため、神戸大大学院農学研究科の石井弘明准教授を中心に、平成16年から生態系を復元する作業が進められています。「社叢の散策・清掃会」が年1回開催され、外来種駆除とゴミ清掃を行う住民参加の維持管理活動も行われています。昨年11月23日(祝)の「散策・清掃会」には私も参加し、普段立ち入ることができない社叢内の自然に触れさせていただきました。
この取り組みが評価され、同月21日に「第1回貝原俊民美しい兵庫づくり賞」が石井准教授に授与されました。平成26年に亡くなった貝原前知事が理事長を務めた一般財団法人「地域政策研究会」が創設した賞で、地域社会へのさらなる貢献が期待される方々を表彰するもの。
市街地に孤立して存在する社叢の自然は、人の手を加えず放置しているだけでは維持できないとのこと。地域の貴重な財産である鎮守の森を守るため、私たちにできることを考えなければなりません。

西宮神社の大練塀

社叢内の巨木

社叢内の土手状の盛土列

過去のセンター長メッセージ

お問い合わせ

部署名:阪神南県民センター 県民交流室

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