ホーム > 県政情報・統計(県政情報) > 広報 > 広報専門員情報 > 「ひょうご☆キラリすと」vol.46三原 泰治さん(リメンバー神戸プロジェクト 代表)神戸市

ここから本文です。

更新日:2016年1月14日

三原 泰治さん (リメンバー神戸プロジェクト)神戸市

三原 泰治さん

 元気な地域づくりの担い手を直撃インタビュー!キラリと光る活動や人柄をご紹介します。
 「現在は、『海』をテーマに作品を作っているんです。」
エコロジーアーティストとして活動する三原泰治さんのアトリエを訪れると、壁一面にたくさんの作品が掛けられていました。アルミハクを幾重にも重ねて海を表現した作品は、見る角度によって色合いが変わり、キラキラと輝くさざ波のよう。日頃から、「自然とどう共存するか、自然の営みにどう対応するか」を考えながらエコロジーアートを発信していた三原さんは、阪神・淡路大震災を経験したときに、「この歴史を後世に伝えていく使命を感じた」と話します。出来事を風化させないためには“形あるもの”を残していくべきだと考え、地震火災で焼け残った壁を「神戸の壁」と名付け、保存活動に積極的に取り組んできました。阪神・淡路大震災から丸21年を迎える今月は、三原さんの活動と思いに迫ります。


震災の記憶を、未来へ残す使命

神戸の壁

 淡路市の北淡震災記念公園に展示されている「神戸の壁」。縦7.3m、横13.5mの大きな壁は、ところどころにひびが入り、黒くすすけた部分も見られます。この壁は昭和2年ごろ、神戸市長田区の市場の延焼防火壁として建てられました。その後第2次世界大戦の空襲にも耐え、21年前の阪神・淡路大震災の激震をも乗り越えて、その姿を今に残しています。戦争と震災の大火を経験した「神戸の壁」は、リメンバー神戸プロジェクトの保存活動によって平成12年に旧津名町へ移設され、平成21年に淡路市によってこの場所に再移設されました。


阪神・淡路大震災

 ・・阪神・淡路大震災で被災したときはどんな状況だったのですか。
 阪神・淡路大震災が起きたとき、私の自宅は半壊し、水や電気も止まり、衣食住を欠く生活が続きました。改めて、自然の怖さと近代文明のもろさを感じました。でも震災が起きるまで私は、神戸に地震が来るとは思っていなかったんです。だから備えもしていなかった。そんな自分にあきれ、腹が立ちました。当時、被災地では「地震が悪い」「想定外だった」という言葉をよく聞きました。でも地震は自然の営みです。私たちが自然に対する畏敬の念を忘れてしまっていたのではないか、共存のための備えを怠っていたのではないか・・・そう感じ、この「想定外」を二度と繰り返してはいけないと強く思いました。そのために被災者の一人として、震災の経験と教訓を伝えていかなければならないと思ったのです。



被災当時の「神戸の壁」

 ・・どうして「神戸の壁」を残す活動に取り組んだのですか。
 被災後、街の様子を見に自転車で長田区まで出かけたときにこの壁と出合いました。火災ですすけた壁が、がれきの中で夕日を浴びて立っていました。それを見たとき、私はその姿に圧倒されたんです。もの言わぬ被災物ですが、存在そのものがすでに震災の語り部となっていると感じました。震災を直接経験していない人でも、この壁を見て感じることはたくさんあるのではないかと思います。だからこの壁を壊してはいけない、形を残して後世に伝え継いでいかなければならないと思いました。


被災前の「神戸の壁」

・・三原さんが代表を務める「リメンバー神戸プロジェクト」とは。
 震災から1ヵ月後にはこのプロジェクトを立ち上げていました。震災を風化させないという強い思いのもと集まったメンバーは、現在20人ほどいます。またメンバー以外にも、昔の街の様子や震災直後の様子を写した写真などを多くの人が提供してくれています。被災の悲しみや悔しさをみんなで共有するだけでなく、未来に役立てたいと思っている人たちが大勢いることを感じます。
 被災物も当時の写真も、時を経ても視覚的に訴える力を持っています。今、街は復興してすっかりきれいになっていますから、当時の真実を語ってくれる被災物や写真の存在はとても貴重だと思います。


移設を前に集まる市民

 ・・被災物の保存活動で苦労したことはどんなことですか。
 
震災から2ヵ月後に自衛隊によるがれきの撤去作業が始まりました。当時は復旧・復興が最優先されていましたから、がれきの処理もとても速かったです。私たちは処理される前に被災物をできるだけ多く収集しようと奔走しました。

移設前最後の追悼集会

街の再開発工事の際にはこの「神戸の壁」も撤去の対象だったわけですが、所有者の理解と多くの人の協力でこうして残すことができました。被災物を見ると悲しい経験を思い出すから残すべきではないという反対意見が寄せられたこともありましたが、未来のために残して良かったと思ってもらえるように活動を継続していきたいです。



三原さんが描いた被災地

・・三原さんは、震災の様子を絵で残す活動もされていますよね。
 絵描きとして、絵でもきちんと残しておかなければならないという思いは当時からありました。描き始めたのは平成12年からですが、現在その数は78枚にのぼります。記録として、しっかり残していきたいと思っています。被災物や写真と同じく、形ある絵もまた、後世まで残ってメッセージを伝えてくれるはずですから。





絵・長田区に立つ「神戸の壁」

・・これからの展望を教えてください。
 兵庫の人たちの力で「神戸の壁」を残すことができたのだと思っています。だからこそ、この壁の存在をもっともっと多くの人に知って欲しいです。そのためにも、今月は神戸市と淡路市でイベントや写真展などを行います。私が“形あるもの”にここまでこだわるのは、「人間の命は永遠ではないけれど、被災物は歴史とそのときの状況を刻んで具体的に伝える、永遠の命を持っている」と思うからです。私が死んでしまった後も、「神戸の壁」は震災の経験を次の世代へ語ってくれることでしょう。

絵・淡路市に立つ「神戸の壁」

 「神戸の壁」を知ってください。見に来てください。触ってみてください。感じてください。そして、教訓を生かしてください。悲しさも悔しさも全部ひっくるめて、震災を体験した神戸だけが世界に発信できるメッセージがあると、多くの人に訴えていきたいです。




壁に触れる高曽根

 北淡震災記念公園にたたずむ神戸の壁。大きくてどっしりとした壁ですが、近づいてみると無数の傷や黒く焦げた跡を見つけることができ、傷ついた壁であることがわかります。激震地でよく耐え残ったなという驚きとともに、傷跡から地震の脅威をしっかり感じとることができました。

野島断層

 この公園には、地震を引き起こした野島断層を展示する保存館があります。断層によってアスファルトは破壊され、地面はズレていびつにゆがみ、一目でこの場所に大きな変化が起きたことがわかります。地震のすさまじさを今に伝えている断層ですが、きちんと保存していなければ風化し、21年もの間当時の姿を保つことはできなかったといいます。「神戸の壁」も野島断層も、どちらも人の手で守られてきた震災の生き証人です。

震災のパネル

 震災当時徳島県に住んでいた私は、被災地の惨状を直接目にはしていません。21年経ち、直接震災を知らない世代も増えてきている今、震災の記憶をとどめたものを当時のまま見ることができる場所はとても貴重だと思いました。「想定外を二度と起こさないよう、自然災害に備える」という三原さんのメッセージを受け取るとともに、今月は阪神・淡路大震災の教訓を改めて考える月にしたいと思います。(高曽根)




☆リメンバー神戸プロジェクト 今月の活動☆

<神戸の壁ライトアップ>
場所:北淡震災記念公園
日時:1月17日(日曜日)までの毎日 17時30分~22時00分点灯
※点灯時間中は、神戸の壁エリアのみ入場無料。

<震災の記憶・神戸の壁 歌展>
場所:北淡震災記念公園
日時:1月31日(日曜日)まで 9時00分~17時00分
震災と神戸の壁保存への思いを込めた歌をこれまで15曲制作。
その歌詞を記したパネルを展示。

<震災の記憶・神戸の壁写真展>
場所:ジュンク堂書店 三宮店 5階ギャラリー
日時:1月31日(日曜日)まで 10時00分~21時00分(31日のみ17時00分まで)
※入場無料
震災前、震災後の写真と神戸の壁保存活動の写真151点をパネル展示。

お問い合わせ

部署名:企画県民部知事室広報課

電話:078-362-3016

FAX:078-362-3903

Eメール:kaigaikouhou@pref.hyogo.lg.jp