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更新日:2010年10月5日

但馬県民局/局長メッセージ(平成21年8月)

オープニングイベント

 15年前に開催された「但馬・理想の都の祭典」その締め括りとなるべき公式記録集の巻頭言は、「阪神淡路大震災」で犠牲となられた多くの県民へのお見舞いの言葉で始まっています。奇しくも同じ年度に起きた出来事でした。

 

 しかし、一見相反する両者に共通する教訓の一つは「交流と共生」。

 

 大震災では途轍もない悲哀を味わいましたが、一方で「人々はお互いに支え合うもの」であることを学ぶことができたと思います。

 日頃から親密な交流があった但馬の一地域から、神戸市東灘区に直ぐに支援の手が差しのべられたことなどを教訓に「ひょうご交流人クラブ」も誕生。「定住人口よりも交流人口による地域活性化」が叫ばれ始めたのもこの頃からだったのではないでしょうか。

 

 対外的に「但馬」をアピールするだけでなく、但馬に住む人自身の意識も変わってきました。

 例えばそれまで婦人会の親睦旅行と言えば神戸・阪神間あるいは他府県に向かっていたものが、祭典を契機に「但馬再発見の旅」となった事例なども大きな余禄でした。 

大但馬展(神戸新聞社提供)

 5年後、平成26年度は「阪神淡路大震災」から20年目、同時に「快適但馬と新しいライフスタイルの創造」を標榜した祭典からも20年目。大きな区切りです。このタイミングを狙って、広がる地域間格差や押し留めようもなく進む「過疎・高齢化・後継者不足」と向き合い、誇り高く「自立する但馬」の将来を深く静かに考えたいものです。



第36・37代兵庫県知事(1954~1962)阪本勝氏の言葉

 但馬への限りない思慕、但馬の人々を鼓舞しようとする真摯な姿勢に胸を打たれます。

《以下「阪本勝随筆集」から》

◇「ぼくは知事就任後、なぜかくも但馬というものを愛してきたのだろう。思い出は遙か六十年の昔にさかのぼる。ぼくの母の家は大阪の天満の古い酒蔵家だった。・・・おおぜいの酒造り男がぼくをボンボン、ボンボンといって可愛がってくれた。そのなかに但馬のオジチャンがいた。オジチャンは毎晩ぼくを抱いて、風呂に入れてくれた。・・・その遙かな思い出が、知事なっても但馬、但馬と思い詰める気持ちの一因となったことは確かだ。ぼくは今も昔も但馬を熱愛している。率直に白状すると、今の芦屋の居を但馬に移しても但馬人になろうとさえ思ったことがあるのだ。そして但馬の若い後進に対し『立て、但馬の若い青年よ』と叫び続けたかったのだ」

◇「但馬人はまず自立独往の根性をシッカリもつべきだ。とかく他力本願で卑屈なのがいけない。「弁当忘れても傘忘れるな」なんて、辺地性の愚痴など、もうやめてくれ。雨が降っても槍が降ってもいいじゃないか。槍が降って来るなら横なぐりに斬って捨てろ。しかも今や、日本海時代が始まりつつあるではないか。但馬が脚光を浴びるときがいよいよ来たのだ。」

◇「人間の精神に乗り移ったところの、一つのすさまじい気迫、やるんだ、やるんだという気迫があるならば、なんでもできると私は思う。それゆえに、とかく他力本願になりがちな但馬の人に言いたいのですよ。決して人を頼りなさるな。決して人の褌で相撲を取ろうとしなさるな。今後は、但馬の土に生まれて、但馬の土に帰るべき運命を持った多くの男女、若きも老いたるも、新しき但馬のために立ち上がりたまえ。・・・瀬戸内海の面した人々がもはや運命の爛熟の極に達した瀬戸内海に愛想を尽かし、新しき但馬を求めようとしているのです。それを地元のあなた方が、まず立って、我ら但馬人がもっておる力を合わせてやろう。まず自分たちの足で立ち、自分の手を動かし、明日の但馬を導くならば・・・但馬の人口は増えてきます。」

坂本勝氏(「坂本勝随筆集」より)

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