但馬県民局/局長メッセージ(平成22年12月)
●水石(すいせき)という言葉があります。
私は長らく「みずいし」と読むものとばかり思いこんでいて、透明な水がそのまま化石になった玲瓏な姿を空想しては、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にでてきそうな詩的イメージに魅了されてきました。
正しくは、一個の自然石に山水(さんすい)の景を見立てて鑑賞する「山水景石」の総称なのだそうです。
最近、ある人から養父市の大屋川でいい水石が採れるとききました。
大屋の加保というところに、昭和46年にみつかった翡翠(ひすい)の露頭が保護されています。残念ながら私はまだ訪れていませんが、自然産状の翡翠の露頭がみつかるのは珍しいことで、大屋は日本で最初に発見された場所だといいます。
そのような地を流れる川だからこそ、一個の石に宇宙の拡がりを感じさせる良質の水石が見つかるのでしょう。
大屋だけではありません。
これも聞きかじりの知識ですが、翡翠は主として蛇紋岩から産出されます。出石から但東にかけて古生代の蛇紋岩帯があるそうですから、いつかこのあたりで翡翠が発見されるかもしれません。
(もしそうなると、先輩格の糸魚川の向こうを張った山陰海岸ジオパークの新しい目玉になることでしょう。)
●但馬は、かつて有数の鉱山県だった兵庫の中核を担ってきました。
銀の生野、銅・スズの明延、金の中瀬は「但馬三山」と並び称せられています。
その生野と明延、そして神子畑の鉱山跡を結び、近代化産業遺産として保存・活用する「鉱石の道」プロジェクトが進められています。
去る11月21日には、生野マインホールで「鉱石の道「産業遺産サミット」」が開かれました。
地域遺産プロデューサー・米山淳一さんの基調講演、明延鉱山ガイドクラブの藤尾賢介さんと「いくのライブミュージアム」の木原真一さんによる活動報告のあと、世界遺産・石見銀山のある街で起業やまちづくりに取り組んでこられた松場大吉さんと奥様の登美さんによるビデオレターが会場に流れました。
その後、鉱石の道の先輩格である「銀の馬車道」プロジェクトに永年携わってこられた宇高雄志・県立大学教授をコーディネーターに、地元の朝来市長や養父市長、鉱石の道推進協議会の桑田純一郎会長、それに米山さんと私が参加したパネルディスカッションが行われ、最後に会場との意見交換を経て「サミット宣言」が採択されました。
宣言には、鉱石の道を地域ブランドとして、関係の地域や銀の馬車道との広域連携を強化しながら南但馬の活性化につなげること、さらに石見銀山その他の日本各地の鉱山とのネットワークの形成を通じて、鉱石の道の「周辺に息づく人々の生活等を文化的価値として維持保全を進め、世界遺産登録を目指すこと」が明記されています。
●世界遺産への道は険しいと思います。相当の覚悟をもって進める必要があるでしょう。
ベストセラーになった『超訳 ニーチェの言葉』に、「とにかく始めなければ始まらない」という名言が紹介されています。
確かに始めなければ何事も始まりません。始めたからこそ、たとえ期待していた結果とは異なるにせよ、それとは別の何か新しい動きが始まるかもしれません。
講演とパネルディスカッションを通じて、米山さんが何度も「世界遺産は地域遺産だ」と強調されていたことが強く印象に残っています。
世界遺産といっても何か特別のものではなくて、その地域の人々にとってかけがえのないローカルな価値(たとえば、鉱石の道の「周辺に息づく人々の生活」)こそが実は普遍的な価値につながっていくということなのだろうと思います。
岩見銀山の松場さんが、「そこで淡々と暮らし、最期に、ああよかったと思える地域」づくりが大切だといった趣旨のお話をされていました。玩味すべき先人の言葉だと思います。
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