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兵庫県ゆかりの著名人のインタビュー全文を紹介します。
PROFILE
田中 希実(たなか・のぞみ)
平成11年小野市生まれ。同志社大学3年生。豊田自動織機TCに所属。令和2年に陸上女子1500メートル、3000メートルの日本記録を更新。同年12月に日本陸上競技選手権大会の女子5000メートルで優勝し、東京五輪代表に内定。
両親がマラソンランナーとして活躍していたということもあり、育ってきた環境に当たり前に陸上競技がありました。3歳くらいの時から父や母と一緒に、市川や浜坂など県内で開かれる親子マラソンに参加するようになりました。その頃は走ることに対して好きとか嫌いといった思いはありませんでした。小学生になってからもロードレースなどに出場し、少しずつ速くなっていくうちに陸上競技にはまっていきました。
高校までは部活動として取り組んでいましたが、大学に入ってから企業にサポートをしていただけるようになり、走ることに責任を感じるようになりました。今は「陸上で自分の道をつくっていかなければ」という思いがあります。
学びを競技に生かしたいと思い、健康やスポーツに関することを幅広く学べるスポーツ健康科学部を選びました。練習メニューが理にかなっていると分かったり、心理面で自分を客観視できたりと役立っていると思います。
週に6日、午前と午後に分けて、トータルで1日15キロから20キロくらい走ります。「今日は午前だけ」という日もあり、実業団の選手に比べると練習量は半分くらいだと思います。長く練習するよりも、短時間で効率よく競技力を上げるやり方が私には向いていると思っています。練習場所はさまざまで、小野市の陸上競技場をはじめ、県内の競技場や公道、大学の競技場を使うこともあります。大学1年生の時は勉強との両立が大変でしたが、今は授業数も減り、練習に集中できるようになってきました。
父とは練習のメニューなどを巡ってよくぶつかりますが、お互いに意見を言い合うことで納得して取り組めています。調子の良いときも悪いときも、最後まで味方でいてくれるのは家族だけだと思うので、安心して競技に取り組む上でとても大切な存在です。
中学生になるまで面識はなかったのですが、陸上競技でたくさんの記録を残していて、ずっと「すごい人」という認識でした。いずれもレベルの高い記録でしたが、「いつか抜きたい」と思っていました。それを昨年突破できて、自分でも驚いています。高校生の時から交流が増え、今はお姉さんのような存在です。トップ選手として走ってきた時代と、第一線を退いた後、両方を経験し理解した上でアドバイスをくださるので、心の支えとなっています。
体調や気持ちの波があまりなく、タイムに表れるほどの調子の狂いがないことです。オフの日も休みすぎず、練習中も根を詰めすぎず、自分で無意識のうちにコントロールしているのだと思います。競技前のルーティンなどはなく、昨年12月の日本陸上競技選手権大会でもウオーミングアップ前に本を読んだりと、その時々にやりたいことをやっています。
小学生の頃から読書が好きで、「大草原の小さな家」や「赤毛のアン」シリーズなどの児童書を愛読しています。美術館へも、企画展などを自分で調べて足を運びます。影絵作家の藤城清治さんや絵本作家の永田萠さんの作品が好きです。
春先はコロナ禍で多くのレースが中止となり、「何のためにしんどい練習をしているんだろう」とモチベーションを保つのが大変でした。でも、「ここで負けたら先はない」と思い直し、妥協せずタイムにこだわったことで結果が出せました。五輪の日本代表を懸けた日本陸上競技選手権大会の5000メートルは不安なままスタートラインに立ちましたが、最後には勝ち切れたので、強さも身に付けられたと思います。
昔も今も地元の兵庫県を中心に活動してきましたし、中学生の時から全国女子駅伝などで都道府県番号「28」を背負ってきましたので、強い思い入れがあります。
走ることの楽しさを見失ってしまうこともあると思いますが、純粋に楽しく走ることを大切にしてほしいです。
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