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ケトロンまつりは江戸時代から300年以上続いている健康祈祷の念仏行事です。宝塚市北部の大原野地区で疫病が流行った際、十一面観音菩薩様に祈願したところみるみる病が治まっていったという民話が基になっており、昭和51年、宝塚市無形民俗文化財に指定されました。
ケトロンの由来については、行人が突き鳴らす鉦や太鼓の音が「ケトロン」と聞こえるという説や、お盆にお供えする「献燈籠」がなまってケトロンと呼ばれたという説など諸説あります。
毎年8月14日、夕方から夜にかけて宝山寺で行われます。大原野地区の子どもたちが西部組、中東部組に分かれ、それぞれが鉦、太鼓、音頭の9人体制で念仏行人を構成します。行人は黒菅笠、浴衣、白襷、三尺帯、袴、裸足の姿になり、竹につけた六角燈籠を持った役員が四隅を固めます。行人たちは約1時間かけて宝山寺の山門から本堂まで続く階段を少し上っては立ち止まりを繰り返しながら、地域の人々の健康を祈る念仏を唱えます。
300年という伝統の中でやり方を変えていった部分も多くあります。その昔、行人は地域の長男のみ9人で構成されていた時期もありましたが、今となっては女の子の行人も珍しくありません。様々な改革を進める中で「自分たちの思いとは違う」と離れていく人もいました。伝統を守り続けることも確かに重要ですが、いろんな方の意見を聞き入れる体制を取らなければ前に進むことはできません。
行人を務める子どもたちやご家族の負担を軽くすることもその一つでした。まず、行人を務めてくれた子どもたちには助成金を出しました。9年目にあたる「音頭」の自宅で開いていた食事会も公会堂で行うようにし、食事の内容も子どもたちが好きなものを取り入れるように変えていきました。
2年前にはケトロン祭りを行う環境整備として宝山寺に参道を作りました。中東部組が本堂まで上がってきた後に西部組が上がってくるため、今までは待機しなければなりませんでしたが、参道を通って下まで着替えに行くことができるようになりました。
また、高齢の方が階段ではなく参道を通れるようになったことで足腰への負担が少なくなりましたし、屋台のリヤカーも通れるので大荷物も運べるようになりました。
祭りの中でも行人の名前を一人ずつ紹介・掲示して、子どもたちにも自尊心を持ってもらえるようにしました。
お客さんにも祭りに興味を持ってもらうために、うちわに番号をふって渡し大抽選会を行ったところ、300名以上の方々が参加してくださり、終始楽しんでいただけたのではないかと思っています。
行人を務めると「音頭」になるまで9年間、さらにその後は指導者として後進の育成にさらに9年間携わることになります。練習期間は当日までの1週間とはいえ、ライフスタイルが多様化している中で、長きにわたり行人を務めることは容易なことではありません。ただ、幼児から中学生までいる子どもたちがお互いに教えあうという経験の中で一体感が生まれるため、ほとんどの子どもたちが最後まで務め上げることができるのです。それについては本当に感謝していますし、それこそがケトロンの一番の魅力だと感じております。
ケトロン祭りに関する歴史資料の多くは、残念ながら火災などでほとんど残っていません。そこで広報活動の一環として講師を招いて講演会を開いたり、広報誌の作成などを行ってきました。この「阪神北ふるさと文化の伝承事業」を通して、一人でも多くの人にケトロン祭りを知ってもらい、続けていくことに価値があります。守り続けてきたものを形に残して後世に伝えていくことこそ、私たち地元の責任だと考えています。
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