ここから本文です。
平安時代から鎌倉時代の間に京都で始まり、戦前まで北摂地方にも広く分布していた、太鼓を叩きながら念仏を唱えるという音楽性豊かな伝統芸能です。今日ではこの芸能を北摂地方で伝承しているのは加茂地区のみとなり、貴重な伝統となっています。
前身である伝承団体「六斎講」が後継者不足のため昭和50年頃解散しましたが、平成12年に「郷土芸能伝習会」を立ち上げ、現在は「川西市加茂ひっつんつん保存会」として地域の子どもたちへの伝承に力を入れた事業を展開しています。
例年8月13日、加茂墓地公園から始まり、阿弥陀寺、常忍寺の順番で念仏を奉納します。
鉦を持った「カネウチ」2名、太鼓を手にくくりつけた「タイコウチ」複数名で構成され、「カネウチ」2名は両端、その間に「タイコウチ」が一列に並びます。「カネウチ」の一人「サンヒキ」が念仏を唱えたのち、太鼓方が念仏を唱えながら太鼓を上下左右に動かして演奏します。
太鼓が終われば回向があり、これを唱和してひっつんつんが終わりとなります。
川西市史第7巻(昭和52年3月、兵庫県川西市発行)に収められた写真の奥に写っているのは幼いころの私で、戦前からひっつんつんをやられていた3人を見た一番若い存在です。昔のことを知っている人は亡くなり、その後佐々木太氏が努力されて昭和50年頃まで続けられていましたが、その後は途絶えてしまいました。私は平成11年に再現を試みましたが、細かい所作はビデオテープでは確認できなかったため一度は断念しました。しかし、「失敗したら何としてでもやってやろう!」という執念が出てきて、翌年その思いを叶えることができました。
川西市教育委員会にビデオテープが残されていたこと、川西市史に完全採譜されていたこと、かつての講の一員・山内平治氏から太鼓の口伝を受けたという3つの条件が整い、ひっつんつんを復活伝承することができました。
この芸能を保存するために子どもを中心にし、衣装を古風に変更しました。昔通りの衣装や浴衣では子どもの興味を引くことができなかったためです。伝統を変えることに批判があるかもしれませんが、結果的に変更しなければ保存できなかったと思います。
私は「子どもたちを地域のスターに育てる」というつもりで臨んでいます。その理由は第一に、地味で素朴な芸能を、子どもの持つ魅力で補ってもらうことです。重い太鼓や鉦を大人に合わせて演奏する、一生懸命な姿が人気を呼びます。この時、自分を見てみんなが喜んでくれるスターの気持ちを味わうのだと思います。
やがて、節回しや、ばちさばきが上達し芸能伝承者に成長します。人気は常に新入りの小さい子どもに持っていかれますが、皆が元ちびっこスターですからよく理解して大人の役割を果たしてくれるようになりました。保存会のメンバーの年代が幅広いのはこのためです。
江戸時代の農民の生活というのは、今と違って土曜日も日曜日もない過酷なものでした。休みと言えば盆と正月のみで、家族とともに過ごし、休養を取り先祖や神仏に宗教儀礼をします。現代では農業に携わる人の数は少なくなってきたため、こうした状況を想像することさえ難しく感じられます。そのため六斎念仏のような芸能の良さがわかるのも、農家の方がいてこそだと思います。
また今の子どもたちは自宅に仏壇がないところも多く、仏壇の前で南無阿弥陀仏を唱えることの意味を理解できない子どももいます。時代の流れとともに変えざるを得ないところもありますが、民俗宗教の動態保存ともいえるひっつんつんを冊子や動画として残していくことで、継承しやすくなるのではないかと思っています。
お問い合わせ