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新型コロナウイルスは兵庫県内では新規感染が抑制されていますが、新たな生活様式「ひょうごスタイル」を取り入れ、新型コロナウイルス感染拡大予防にご協力をお願いします。
6月25日、但馬水産事務所新庁舎の開所式が行われました。
但馬水産事務所は、昭和38年にできて、今年で57年になります。老朽化が著しいため、香住漁港東港の但馬水産技術センターの用地内に移転しました。
当日は、水産業関係者や橘県議会議員、浜上香美町長をお迎えし、開所式を行いました。新型コロナウイルスの感染予防のため、人数を少なくしての開催となりました。
兵庫県からは荒木副知事が出席し、あいさつの中で但馬水産事務所の歴史や但馬地域の水産業を巡る情勢と観光など他の産業との関連や地域経済に与える影響など重要性、但馬地域への期待などを語りました。
新しい庁舎には、但馬水産事務所のほか、県香住漁業無線局や県漁業協同組合連合会と日本漁船保険組合の但馬支所も入居予定です。7月から8月にかけて新庁舎に移転し事業を始める予定です。
但馬地域の水産業の拠点となりますので、よろしくお願いします。
6月29日、鉱石の道の中核施設である神子畑選鉱場跡に情報発信と交流機能をもった「鉱石の道 神子畑交流館」がオープンしました。
施設の設置者である多次朝来市長、鉱石の道推進協議会の桑田会長や指定管理者である神子畑鉱石の道推進協議会の山内会長をはじめ地元の関係者、但馬県民局、中播磨県民センター職員の出席のもと式典が行われました。
神子畑鉱山は平安時代に開かれたと言われ、明治時代の前半に最盛期を迎えました。その後明延鉱山の選鉱場となり、拡張工事を経て、昭和の初めには“東洋一”と言われるまでの施設になりました。しかしながら、昭和62年に明延鉱山が閉山し、神子畑選鉱場もその役割を終えました。
平成29(2017)年に「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」として日本遺産に登録されてから、鉱石の道エリアを訪れる人が増え、情報発信・交流拠点の整備が待たれていました。
このたびオープンした神子畑交流館は、日本の近代化を支えた鉱山、選鉱場をはじめ人々の暮らしもわかるような展示、写真がご覧になれます。
とりわけ、昭和50年頃の明延から神子畑までの施設群を再現した縮尺500分の1のジオラマは、当時の両地域の活気を想像させるのではないでしょうか。交流館の外に見える選鉱場跡の大きさを感じながら往事を偲んでいただけたらと思います。
また交流館では、Tシャツやクリアファイルなどのオリジナルグッズの販売や20~30人の団体の方々にはガイドツアーもあります。一度訪れてみてはいかがでしょうか。
(但馬県民局長 小畑 由起夫)
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