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「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」
言い古された言葉ですが、早いもので2月も半ばを過ぎようとしています。
年明け以降、10数年ぶりの最強寒波が到来したかと思うと、春のような陽気に包まれた日もあるなど、どこか地球がおかしくなってきたことを感じる気候が続いています。
「春は名のみの風の寒さや」
ご存じ早春賦の出だしの一節ですが、谷の鶯が心なく歌える季節が早く来て欲しいと願うばかりです。
さて、今回は「外から見ると不思議だらけの但馬地域」の第九回です。
但馬には厳しい冬、そして自然があります。
そのような中、但馬の先人達は子孫を想い、将来を見据えた数々の足跡を残されています。
間近に迫った春を想い、心を暖かくしてくれる先人達の足跡に触れてみました。
第九回 土木の聖地
最近、「聖地」という言葉を良く聞くようになった。
アニメの聖地、恋人の聖地、天空の聖地などなど。
本来は神様仏様にゆかりのある土地を指す言葉だが、地域おこしよろしく聖地という言葉が使われているようだ。
但馬地域も、とある聖地と呼ばれている。
しかし、但馬地域の聖地は、地域おこしならぬ地域の想いが詰まった、まさに神様の所業の聖地である。
今日はそんな話をひとつ。。。
山陰海岸ジオパークの成り立ちは、地球が生き物であり、人間の時間軸では推し量れない長さで活動していることを私達に教えてくれている。
但馬地域は、その最前線に位置しており、地形が複雑かつ地質が厄介極まりない。
そんな中で、日常生活の安全安心、利便性を高めるためには、自然との共生と闘い、そして大地への施しが不可欠なのだ。
その足跡が但馬の随所に残っている。
今風に言うと(若干、古いかも知れないが。。。)、プロジェクトXの宝庫である。
以下、その一コマを「地上の星」をBGMとしてご紹介したい。
(風の中のスバル 砂の中の銀河 …)
「土木の聖地」但馬。
荒れ狂う日本海。子供達の通学を阻む、崖、岩、そして波、波、波。
これに敢然と挑んだ猛者達が居た。
平家の落人伝説が伝わる竹野町宇日・田久日地区。
昭和30年代まで、ここは陸の孤島。移動手段は船か、崖っぷちの道。
「子供達のために安全な道を」
地域の方々の想いを叶えるため、困難を極める自然との闘いが始まった。
切り立った岩山は、人を跳ね返し、重機の矛を寄せ付けない。
幾度となく繰り返される接近戦に、日本海の北風が容赦なく吹き付ける。
諦め掛けた想い、折れそうになった心に、この道を待ち望む子等の顔が浮かぶ。
幾多の困難を乗り越え、3年の月日を経て猛者達は勝利した。
竹野海岸に勝者の石碑、「はぐくみの碑」がある。
「北風や 心志て吹け 子らの為」
工事の陣頭指揮を執った西村喬二氏が削り取られた岩肌に墨で書いた句。
過酷な現場を命がけで闘った作業員、そして村の将来を担う子供達に捧げたものである。
この句に込められた想いが土木の聖地たる由縁であり、但馬地域に息づく人の優しさである。
※ 本稿は、元但馬県民局県土整備部長 佐々木良作氏から頂いた資料を引用させて頂いている。
(但馬県民局長・登日幸治)
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