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奈良時代に遣唐使が中国より持ち帰った唐菓子(からがし)の一種、索餅(さくべい)がそうめんの起源と言われている。播州地方では約600年の伝統と歴史があり、江戸時代には竜野藩が許可業種として統制・保護していた。明治5年(1872年)には製造業者が集まり明神講が結成され、明治7年(1875年)には開益社を設立。明治20年(1887年)9月に現在の兵庫県手延素麺協同組合の前身である「播磨国揖東西両郡素麵営業組合」が設立された。明治27年(1894年)には統一規格を設け、格付け等級として現在の組合ブランド「揖保乃糸」が誕生し、明治39年(1906年)には特許局に「三神乃糸」、「揖保乃糸」等をいち早く商標登録した。
戦前、戦後の混乱期には原料の確保が困難となり、生産量が激減し産地存亡の危機を迎えたが、昭和27年(1952年)に統制経済が解除され、その危機を乗り越えた。昭和30年代の高度経済成長期は臨海工業地帯の工場建設に伴って、播州地方の農家の働き手が工業地帯に流出したために原料小麦の生産が急減し、国内での小麦入手が困難となったが、外国産小麦を導入する事により原料の品質統一が図られた。その後、生産は順調に推移し製品の品質もより一層安定した。そうした中、昭和40年代のいざなぎ景気に入り、品質管理を重視した事により消費者に認められ、ギフト商材と単品商材の販売量が格段に増え昭和50年代には生産量が18kg換算で100万箱を突破した。
一方で、従来の宣伝広告では新規市場が開拓できないという問題を解決するため、平成4年(1992年)から有名女優を起用したTV-CMを制作し、全国放映を行ったことにより消費者に広く浸透した。さらに、平成13年(2001年)からは全国的に展開している試食イベントで、揖保乃糸ならではの製造方法や品質の高さなどをPRするイベントキャンペーンガールとして「ミス揖保乃糸」を選考し、全国の皆様にそうめんの美味しさをPRするメニュー提案などを行い、揖保乃糸の消費拡大に取り組んでいる。コロナ禍により試食イベントの縮小を余儀なくされたものの、SNSをはじめとする新たな取り組みで、リアルとオンラインの両面からファン層の拡大を図っている。
平成9年(1997年)4月には手延べそうめんの歴史や文化を伝えるための施設として、揖保乃糸資料館「そうめんの里」をオープンした(令和6年(2024年)6月に入館300万人を達成)。
海外グローバル戦略としては、平成18年(2006年)6月にメニュー提案型イベントをアメリカハワイ州で初めて実施し、翌年からは北米(ロサンゼルス・ニューヨーク)、東南アジア、EUにおいても、販売促進活動を進めている。
組合ブランドである「揖保乃糸」は平成19年(2007年)5月に世界的に認知度が高い「モンドセレクション」において最高金賞を受賞、平成24年(2012年)にはiTQi(現iTi)国際優秀味覚コンテストにおいてきわめて優秀とされる三ツ星を受賞し、平成30年(2018年)にはダイヤモンド味覚賞を受賞するなど、その品質は高く評価されている。生産工程図(PDF:126KB)
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