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姫路の菓子が全国に名を知られるようになったのは、江戸時代の後期からと言われている。この頃の藩主酒井家の歴代の当主が教養人であり、茶の湯を好んだことから、姫路城下の文化は大いに発展することとなった。
しかし、天保年間(1830~44年)の姫路藩主酒井忠以の頃、藩の財政は窮乏し、負債額は約73万両にも及んだため、家老の河合寸翁は藩の財政再建を志し、藩政改革を行うとともに、農工業を振興し、木綿会所を開設するなど、皮革、木綿、小麦粉、菜種油、砂糖など諸国の物産を城下に集積して商業、物流を盛んにした。この寸翁が藩主同様茶人であったことから、産業振興の一環として和菓子づくりを奨励し、修行のため藩命により職人や藩士を江戸、京都、長崎まで派遣し、製造技術を習得させた。この時、職人たちの持ち帰った技術が姫路の菓子づくりの原点となった。
姫路の菓子を特色づけるものとして、油菓子、カリントウがある。油菓子は、ポルトガル、オランダ船により、長崎に伝えられたものが全国各地に広がったものであるが、姫路では、藩主酒井忠以の時代以降、藩の援助育成のもと、また、藩内各地から集積された良質の小麦粉、菜種油等を活用することにより、「姫路駄菓子」として全国にその名を馳せることとなった。
昭和初期までは、姫路市内の船場本徳寺の門前に駄菓子屋が軒を連ね、大変な賑わいであったが、戦災によりすべて焼失したため、製造業者も市内各地に分散してしまった。しかし、戦後、消費者の嗜好の変化により、他の地域の業者が次第に減少していく中、姫路の製造業者は、生産の機械化、合理化を図り、後継者、技術者の育成に努めた結果、現在、駄菓子では全国有数の産地となった。
菓子の生産は、消費者の嗜好に強く左右されるため、製法、品質、デザインなどの新しい技術の開発が常に要求される。姫路の菓子は、江戸時代以来の伝統を活かすと共に、近年では、洋菓子部門も充実させるなど消費者のニーズに応えている。
また、大正7年(1918年)に国の重要物産同業組合法による姫路市からの要請を受け姫路菓子同業組合として設立、平成22年(2010年)に姫路菓子組合に名称変更。姫路菓子組合を中心に、技術者養成講座の開催、品質の向上や販売方法の研究等に努めるほか、4~5年ごとに開催される「全国菓子大博覧会」に積極的に出店し、毎回、名誉総裁賞をはじめ多くの賞を受けるなど、産地全体としての発展に取り組んでいる。
世界遺産国宝姫路城400周年記念「第25回全国菓子大博覧会・兵庫(姫路菓子博2008)」が開催された姫路市を会場に平成21年(2009年)以降、姫路と兵庫県下のお菓子の魅力を伝えていくことを目的に、「姫路菓子まつり」を毎年開催し令和元年(2019年)には11回を数え、年々盛況を迎えている。
また、平成30年(2018年)11月、姫路菓子組合は設立100周年記念式典に姫路市長など来賓多数参加を迎え、姫路菓子組合100年の軌跡発刊・お菓子のご恩返しの感謝祭など、平成の世は充実した時となった。生産工程図(PDF:23KB)
住所:〒670-0932姫路市下寺町43姫路商工会議所新館3階
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