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約200年前に北播磨地域に播州織が興って以来、京都の友禅染から取り入れた技術に筑前博多の染色法が加わり、織物の発展とともに成長
繊維染色業界は、約200年前に北播磨地域に播州織が興って以来、織物の発展とともに成長してきた。その技術は文政年間(1818~29年)に京都の友禅染から採り入れられたもので、後に筑前博多の染色法が加わった。明治初期までの技術水準は植物染色の段階であった。
明治10年(1877年)頃、ドイツ製化学染料の導入で色調の多様化と技術の向上を促した。それに伴い経営形態面でも、家内工業から近代化的企業に変貌を遂げた。また、技術の改善や安売り防止などを目的とする「恵比須講」と呼ばれる協同組織が生まれ、今日の協同組合の原型となった。
先染織物における糸の染色と漂白は高い水準の技術を要求され、色調の多様さもあり、機械化は困難なものとされていた。しかし、時代とともに染色機械の発達、染料の改良等によって機械化が可能となった。さらに、従来の綛染色からビーム染色、綿スフから合成繊維染色へと技術革新が行われた。
戦後、染色業界は順調に発展し、昭和47年(1972年)には生産量8,200万ポンドに達した。その後、オイルショックや対米繊維輸出規制等により、昭和49年(1974年)の生産量は5,300万ポンドとなり、それまでの平均水準の約75%に低下した。しかし、生産量は再び増加基調に転じ、昭和62年(1987年)には1億1,044万ポンドと過去最高を記録した。その後、バブルの崩壊による不況や急激な円高により平成7年(1995年)の生産量は7,575万ポンドまで低下した後は低下傾向が続いている。
染色業界は昭和45年(1970年)度から49年(1974年)度にかけて、播州織に併せて中小企業近代化促進法に基づく構造改善事業に取り組んだ。また昭和45年(1970年)、53年(1978年)、56年(1981年)と3回にわたって排水処理施設および関連機器の整備に約30億円を投じるなど、公害対策にも万全を期している。
これまで染色業界は、過剰設備の政府買い上げや企業合同などによって体力をつけてきた。しかし染色業界や播州織業界の環境は内外共に極めて厳しい。そのため染色業界は新しい染色方法の開発、先端技術の積極的な導入等、徹底した合理化を行い、新しい発展を目指している。生産工程図(PDF:28KB)
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