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日本国内におけるマッチ産業の始まりは、明治8(1875)年の東京からである。急速に国内市場を満たし、輸出中心の産業になると、貿易に便利な大阪・神戸近辺に工場が集積するようになった。華僑による輸出や豊富な労働力が確保できたこと、マッチを製造する上で重要な晴天が多く、温暖な気候に恵まれていたことなど好条件が重なったことで、兵庫県内でマッチ産業が根付き、次第に全国シェアを拡大していった。
その後、輸出不振、外国企業の進出、過当競争など数々の試練を経て、昭和27(1952)年の日本燐寸調整組合設立によって団結の機運が生じた業界は、昭和30年代に設備の近代化を推し進めた。昭和42(1967)年頃からは、広告マッチを中心に需要を大きく伸ばし、マッチ業界は隆盛を極めた。
昭和51(1976)年以降、使い捨てライターなどマッチの代替品普及後は、マッチの消費は減少の一途を辿っている。業界各社は需要の落ち込みに対応するため、それまでに培ってきた経営資源を各々活用し、他分野に転換して事業の多角化を図った。その例として、駐車場やテニススクール経営といった工場跡地の転用、ラベル印刷技術を基礎とした印刷業界への進出、広告マッチ販路を活かした紙おしぼり・ティシュペーパーなど販促商品の開拓などが挙げられる。
現在、マッチ製造の大きな要となる自動マッチ製造機を設置している企業は、姫路市と岡山市に1社ずつであり、一貫生産体制を保有しているのは日本全国でこの2社にまで減少している。この製造機は、昭和36(1961)年頃に導入されたもので、耐用年数を大幅に経過しているため、老朽化にともなうメンテナンスや維持管理が継続的な課題となっている。その他のマッチ会社は、OEMや一部の製造工程を自社でまかなうなど、互いに協力体制を築きながら販売を続けている。生産工程図(PDF:36KB)
需要開拓の方策を継続して検討する中で、阪神淡路大震災の教訓から生まれた「災害時長期保存用缶詰マッチ」の開発によって、防災用品という新たなマッチの需要を見いだした。平成23(2011)年の東日本大震災以降、マッチは備蓄用としても広く認知されるようになった。
世界的に安心・安全・地球環境への優しさが求められる中で、雑木・古紙・無害な薬品を使用して作られる「環境に優しいマッチ」はエコ商品として見直されている。また、業界内にはマッチの製造工程で排出された軸木を着火剤として、新たに生まれ変わらせた製品を製造する企業も出てきている。
平成21(2009)年に「北野工房のまち」にオープンしたマッチ専門店「マッチ棒」は、同施設の閉鎖にともない、令和5(2023)年末をもって一旦閉店となったが、令和6(2024)年6月、一般社団法人日本燐寸工業会の事務所内に販売スペースを設け、再オープンした。マッチ及び関連商品の展示・販売、マッチの普及・啓発などマッチ業界の発信拠点として再出発を果たした。
住所:〒650-0012神戸市中央区北長狭通5-5-12
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