更新日:2024年10月25日

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杞柳製品

概要

  • 杞柳(きりゅう)細工の原料となるコリヤナギの自然木を使い、強靭でしなやかな風合い、柔らかさと粘りを活かしながら、ひとつひとつ手で製品を編み上げる。
  • 技法には、底編7種類、縄編6種類、縁編18種類、蓋編10種類があり、行李やおしゃれな手提かごなど技法の組み合わせにより様々な作品に仕上がる

起源・沿革

杞柳細工は、豊岡市の中央を流れる円山川のほとりに自生していたコリヤナギを利用して、奈良時代に始められた。柳行李(やなぎごうり)は御物として伝えられており、当時の但馬国産柳箱が現在も奈良正倉院に保存されている。豊臣時代、城下町形成と共に産業としての歩みが始まり、江戸時代、初期京極藩主が保護奨励し専売制度を確立したことにより、全国に豊岡の柳行李として知られるようになった。
明治14年、バンドと取っ手を取り付けた手に持てる「こうりかばん」が作られ、手に提げる製品の製造が始まった。明治42年に創案した大正バスケットが全盛時代を迎え、数々の日用品が製造された。海外にも輸出したことにより、杞柳細工は大きく発展した。物を運ぶのに適した柳行李は戦争の度に軍用行李として大量生産され、戦後は買物かご、盛りかご、花かご等様々な製品が生産された。

制作風景

昭和48年、中国との国交回復以後は国際化の進展に伴い、次第に海外からの安価な製品の流入が増加し、杞柳細工の生産は減少の一途を辿った。
平成4年、国の伝統的工芸品の指定を受けて後継者の育成に努めた結果、現在では伝統工芸士がつくる草木染を施したおしゃれな手提げかごが注目を集めるようになり、平成15年度のグッドデザインひょうご大賞を受賞するなど、取組の成果が実を結びつつある。平成13年には「豊岡杞柳細工」として特許庁の地域団体商標に登録された。
なお、杞柳の語源は「孟子」の「人性ヲ似テ仁義ヲ為スハ、猶ホ杞柳ヲ以テ、杯倦ヲ為ルガゴトシ」(本来、自然なままの人生に、仁義の気質を持たせるのは、ちょうど杞柳=コリヤナギで曲げ細工をつくるようなものである)により、コリヤナギの学名を持つ柳の漢字名である。

生産工程図(PDF:60KB)

現在の取組

き柳細工4点セット

一時15名いた伝統工芸士は高齢化により、現在新規参入も合わせて9名となっている。絶えず新しいデザインを生み出し努力しているが、産地として維持していくためには必要な人材確保は欠かすことができないと、平成2年から後継者育成事業を続けている。初級コースと中級コースに分け、年間各20回開催して、次の伝統工芸士の育成に力を入れている。

問い合わせ先

兵庫県杞柳製品協同組合

住所〒668-0801豊岡市赤石1362
電話:0796-23-3821
FAX:0796-24-0913

お問い合わせ

部署名:産業労働部 地域産業立地課

電話:078-362-3331

FAX:078-362-3801

Eメール:chiikisangyorichi@pref.hyogo.lg.jp