病院購金録
この「病院購金録」は、西洋医学による病院設立のために摂播地方の町村や商人などに資金の拠出を求めたときの募金帳で、県政資料館が所蔵する県の文書としては最古のものです。
明治2年(1869)4月に、神戸病院が設立され、後に県立神戸病院を経て、現在の神戸大学医学部附属病院になりました。
募金のリストには外国事務判事であった伊藤俊介(博文)の名も見えますが、未納の付箋が貼られています。
また、伊藤の左に名前のある「岩下佐次右衛門」は、薩摩藩出身の岩下方平です。薩英戦争では藩を代表してイギリス公使と交渉した人物で、神戸三宮備前兵事件でも、伊藤らとともに事件の処理に当たりました。神戸で外国事務判事を勤めた後、大阪府判事、京都府権知事、大阪府大参事、元老院議官等に任ぜられています。