更新日:2022年5月27日

ここから本文です。

よくあるご質問

当部門によくあるご質問と、その回答をご紹介します。

目次

Q1 「兵庫県」の成立の過程について教えてください。
Q2 「兵庫」という県名の由来は何ですか。
Q3 歴代の兵庫県知事について知りたいのですが。
Q4 初代兵庫県知事の伊藤博文に関する資料はありますか。
Q5 「敬老の日」の由来に兵庫県が関係あるそうですが、どんなことですか。
Q6 県公館の建物について教えてください。
Q7 兵庫県内における空襲は、どのようなものでしたか。
Q8 県政資料館(歴史資料部門)には、県公報もありますか。
Q9 『兵庫県史』や『兵庫県百年史』はどこで見ることができますか。また、買うことはできますか。
Q10 県政資料館(歴史資料部門)で発行している紀要は、どんなものですか。
Q11 他に阪神・淡路大震災に関連する資料を閲覧できる県の施設はありますか。

質問・回答

Q1 「兵庫県」の成立の過程について教えてください。

A1 (こちらをご覧ください。→県域の変遷 )
 

Q2 「兵庫」という県名の由来は何ですか。

A2 兵庫県の名称は、現在の神戸市兵庫区辺りを指す「兵庫」という地名に由来しています。
兵庫には、「兵庫津」と呼ばれる港(現在の神戸港の一部)があり、幕末にはアメリカやその他の国々と貿易を行うための開港場として指定されました。明治政府発足後の慶応4年(1868)、兵庫には、周辺の旧幕府領を管轄する兵庫鎮台が置かれましたが、この兵庫鎮台は、間もなく兵庫裁判所と改称され、さらに同年5月23日、兵庫県となりました。
県名に、「兵庫」と冠したのは、このように役所が置かれた地が兵庫にあったからと推測されます。
なお、「兵庫」の地名については、かつて兵器の倉庫が、そこに置かれていたために名付けられたのではないかとも考えられますが、よくわかっていません。
 

Q3 歴代の兵庫県知事について知りたいのですが。

A3 兵庫県の初代知事は、後に初代総理大臣となった伊藤博文(俊介)知事です。また、第4代知事は、第2次伊藤内閣の外相として活躍した陸奥宗光(陽之助)知事です。県知事は、当初政府から派遣される官撰知事でしたが、戦後(昭和22年(1947))からは、選挙によって選ばれる公選知事となりました。最初の公選知事は、第34代の岸田幸雄知事です。
歴代知事の氏名や任期については、一覧表がありますのでご覧ください。→歴代兵庫県知事の一覧表へ
 

Q4 初代県知事の伊藤博文に関する資料はありますか。

A4 伊藤博文(俊介)は、慶応4年(1868)、初代兵庫県知事に就任しました。
県政資料館(歴史資料部門)には、自筆の扁額のほか、酒杯などがあります。
また、神戸病院を建てるために寄附金を集めた「病院購金録」に「伊藤俊介」の名前が見られます。
 

Q5 「敬老の日」の由来に兵庫県が関係あるそうですが、どんなことですか。

A5 昭和22年(1947)に多可郡野間谷村(現多可郡多可町)において、全国に先駆けて「としよりの日」が設けられました。次いで、昭和25年(1950)に兵庫県が9月15日を「としよりの日」と定め、翌26年に全国社会福祉協議会がこれを全国的に推進することとなりました。このような経緯を経て、昭和41年(1966)に「国民の祝日に関する法律」が改正され、9月15日が「敬老の日」となりました。
 

Q6 県公館の建物について教えてください。

A6 県公館の建物は、山口半六(やまぐちはんろく)の設計により、明治35年(1902)、4代目本庁舎として完成しました。レンガ造り、ドーム状の大屋根など西洋風の優雅な建築美は、当時の人々に大きな感動を誘ったといわれています。
昭和20年(1945)には戦災により外壁だけを残して焼失しましたが、戦後修復の上、南庁舎として使用され、さらに昭和60年(1985)、兵庫県公館に改装されました。県政発展の歴史が深く刻まれているばかりでなく、我が国建築史上、貴重な建造物であり、平成15年1月、国の有形文化財に登録されました。
 
山口半六:安政5年(1858)、松江藩士の子として生まれ、明治4年(1871)大学南校(現東京大学)入学。フランスへ留学後、明治18年(1885)文部省に入り、学校建築に活躍しました。病のために文部省を退官後、神戸で療養生活のかたわら建築活動を続けていましたが、代表作の一つとなる兵庫県本庁舎建築中の明治33年(1900)、42歳の若さで亡くなりました。
 
 

Q7 兵庫県内における空襲は、どのようなものでしたか。

A7 第二次世界大戦中、日本は、アメリカ軍の航空機による攻撃(空襲)を受けていますが、昭和17年4月18日に、東京、名古屋とともに神戸が空襲を受けました。(本土初空襲)
その後、県内では、昭和20年1月19日(明石市等)から、昭和20年8月14日(神戸市等)まで、55回の爆撃を受け、大きな被害を出しています。
現在、県政資料館のある県公館の建物は、当時、県の本庁舎でしたが、昭和20年3月17日の神戸大空襲で外壁を残して焼失しました。
 
<県内の主な被災地域>
神戸市、姫路市、尼崎市、西宮市、明石市、芦屋市
 
来襲機総数 3,742機
爆弾 8,023個
焼夷弾 約35万個
罹災者数 約77万人
 
〈人的被害〉
死者 12,167人
重傷者6,568人
軽傷者22,755人
計41,490人
 
〈建物被害〉 199,297戸
 
(参考資料:『復興誌』 兵庫県土木部計画課 昭和25年刊)
『復興誌』は県政資料館(歴史資料部門)で閲覧することができます。
 

Q8 県政資料館(歴史資料部門)には、県公報もありますか。

A8 県政資料館(歴史資料部門)で収蔵している県公報等は、次のとおりです(一部、欠号があります)。
 
県布達(複製)・・・・・・・・・・明治5年1月~明治19年3月
県報・・・・・・・・・・・・・・・・・・明治23年4月~昭和29年1月
県公報・・・・・・・・・・・・・・・・昭和29年1月~平成24年3月
 
明治19年4月から明治23年3月までの公布は、『神戸又新日報』(こうべゆうしんにっぽう)紙上に掲載されており、県政資料館(歴史資料部門)にも複製があります。
 
『神戸又新日報』(こうべゆうしんにっぽう)
明治17年(1884)5月、兵庫県庁や兵庫県会の支持を得て創刊された新聞。明治19年(1886)4月、兵庫県令内海忠勝は、『神戸又新日報』に載せることで公布することとしました。
 

Q9 『兵庫県史』や『兵庫県百年史』はどこで見ることができますか。また、買うことはできますか。

A9 県政資料館(歴史資料部門)で閲覧できるほか、国立国会図書館、都道府県立図書館、兵庫県内の市町立図書館や、一部の学校図書館等に配布していますので、お問い合わせください。
販売については、兵庫県民会館内の(公財)兵庫県芸術文化協会で扱っていますので、同協会へお問い合わせください(既に在庫切れとなっているものがありますので、事前にご確認ください)。
 
 

Q10 県政資料館(歴史資料部門)で発行している紀要は、どんなものですか。

A10 (こちらをご覧ください。→『兵庫のしおり』 『新兵庫県の歴史』
 

Q11 他に阪神・淡路大震災に関連する資料を閲覧できる県の施設はありますか。

A11 阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター資料室(外部サイトへリンク)では、阪神・淡路大震災に関連する資料(図書・紙・モノ・写真等)を収集・保存しており、これらを閲覧することができます。

 

関連メニュー

お問い合わせ

部署名:総務部 法務文書課

電話:078-362-3063

FAX:078-362-3902

Eメール:bunshoka@pref.hyogo.lg.jp