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県民だより ぐぐっと!

兵庫県ゆかりの著名人のインタビュー全文を紹介します。

バレエダンサー 日髙世菜さん

 

日髙世菜さんの写真

 

 

PROFILE

日髙 世菜(ひだか・せな)
平成3年西宮市生まれ。20年からロシアのワガノワ・バレエ・アカデミーに3年間留学。ルーマニア国立バレエ団、米国タルサバレエを経て、今年1月に日本のKバレエカンパニーにプリンシパル(最高位ダンサー)として入団した。

 

Q.バレエを始めたのはいつ。

4歳です。幼児番組やディズニー映画を見ながら踊っていたそうで、幼稚園入園と同時に地元の教室に入りました。
小さな教室でしたが、いろいろな役を踊らせてもらいました。

Q. プロを目指して留学を。

将来のことは全く頭になく、ただうまくなりたい一心でした。
ロシアバレエの優雅な踊りが大好きで、高校1年生の時にワガノワ・バレエ・アカデミーのテストに合格し、翌年ロシアへ渡りました。
アカデミーは9年制で、6年生から編入した私は8年生を飛び級し、卒業までの3年間を過ごしました。

Q. 留学中の思い出は。

基礎を徹底的にたたき込む指導方針だったので、思うように踊らせてもらえず、バレエが嫌になった時期でした。
でも、9年生の時に現在のロシアバレエ界のスター、オルガ・スミルノワさんと同じクラスになり、大いに刺激を受けました。
才能やテクニックはもちろん、授業に臨む姿勢まで何もかもが別格でした。

Q. 卒業後はなぜルーマニアへ。

本当は日本のバレエ団に入りたかったのですが、国内での実績が乏しかったこともあり、書類選考であえなく落とされました(笑)
母親の「せっかく留学したのだから海外のバレエ団でやってみれば」の言葉をきっかけにオーディションに挑戦し、ルーマニア国立バレエ団に入ることができました。

Q. そこから飛躍されましたね。

群舞の役からスタートしましたが、あらゆる作品で踊らせてもらえることが本当にうれしくて。
自分はバレエが好きなのだと再認識するとともにプロとしての自覚が芽生えました。
4年目でプリンシパルに選ばれるなど在籍5年間で多くのことを経験できたので、さらなるステップアップを目指し、アメリカのタルサバレエへ移りました。実は日本のバレエ団も視野に入れていたのですが、この時もご縁はありませんでしたね。

Q. コロナ禍が帰国のきっかけに。

昨年1月の舞台を最後に活動がストップしたので、駄目もとでKバレエカンパニーにオーディションをお願いしました。それがプリンシパルで採用されるとは。海外で頑張ってきたことがようやく報われたという思いでした。日本で仕事ができるようになるまで、本当に長い道のりでした。

Q. ダンサーとして大切にしていることは。

周りの人に対する感謝と気配りです。
10年以上にわたる海外生活を支えてくれた家族や恩師、舞台を共に作り上げる共演者への感謝の気持ちは常に持ち続けています。
舞台上では、物語の世界に溶け込んだ自然な踊り、見ている人に「演じているな」と感じさせない踊りを心掛けています。

Q. 12月には「くるみ割り人形」の大阪公演がありますね。

クリスマスの夜に少女がプレゼントされた人形と一緒に人形の国を旅するという物語で、初めてバレエを見る人にも親しみやすい作品だと思います。壮大なセットをバックに情感豊かに踊る姿を見ていただきたいですね。
私にとって初の関西での公演。思い出の舞台になるよう全力で臨みたいです。

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