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横浜中華街、長崎新地中華街と並び、日本三大中華街の一つに数えられる神戸の南京町は、神戸港開港を契機に誕生したと言われています。
開港とともに多くの外国人が神戸にやって来ました。その住むところが必要になるわけですが、外国人居留地の整備は追いつきません。そこで、明治政府は、東は生田川から西の宇治川まで、北は山の麓までを、外国人と日本人のどちらもが住まえる雑居地としました。開港から3ヶ月後のことです。
当時、中国(清国)は通商条約の非締結国であったため、華僑は居留地内に住むことができませんでした。そこで、居留地のすぐ西側の雑居地で、雑貨商、豚肉商、飲食店などを始めたそうです。周辺は「南京町」と呼ばれるようになり、賑わいを見せていました。
しかし、1945(昭和20)年の神戸大空襲で元町一帯は焼け野原となります。戦後はバラックが立ち並ぶ闇市となり、やがて外国人バーが林立するエリアへと変貌。路地の舗装もされないままでした。
昭和50年代になって、転機が訪れます。南京町一帯が区画整理事業の対象となったのです。1981(昭和56)年には「南京町復興環境整備事業実施計画」を策定。中華街としてのまちづくりが進められることになります。
南京町の十字路に、東は「長安門」、西は「西安門」、南は「海栄門」と称する楼門を建造。中央の広場には、あずまやも整備されました。
因みに、「西安門」に掲げられた扁額の文字は、井戸知事の直筆です。
商店主の皆さんも、かつての繁栄を取り戻すために結束。1987(昭和62)年に南京町商店街振興組合を設立し、イベント等による賑わいの創出に取り組まれてきました。
現在の南京町は、このようなハード、ソフト両面にわたる努力の結果、作り上げられたのです。
旧暦正月をお祝いする「春節祭」も、そうした取組の一環として始められました。1997(平成9)年には、神戸市の地域無形民俗文化財に指定されています。
第31回を迎える今年は、2月3日にプレイベントとして南京町一帯で龍舞・獅子舞が披露されます。5日は、「中国史人游行」と題して、京劇の衣装とメイクで三国志の英雄などに扮し、元町商店街や三宮センター街をパレード。9日~11日は南京町広場や南京南路で様々なイベントが実施されます。
また、5日~11日の間、兵庫県政150周年記念フェアとして、南京町の参加店舗で、兵庫県産の食材を使った料理が提供されています。
「春節祭」を機に、南京町はじめ元町周辺を訪れてみてはいかがでしょうか。
神戸県民センター長 谷口 賢行
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