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「共存する地球」
兵庫教育大学附属中学校 3年 永田愛織
私は、いや地球に住んでいる全ての動植物は、水の恩恵を受けながら生活し、命を受け、つないでいます。一方で、台風や集中豪雨などの異常気象により、水が私たちの命を脅かしていることも事実です。テレビを通して、河川近くの家や田畑、そしてそこに住む人々の安全や幸せが奪われている映像を何度も見ました。でも、これは、決して、テレビの向こう側だけの話ではありません。私の住んでいる加東市でも被害の大小はありますが、当たり前のようにおこってしまっていることなのです。
加東市には、市の名前の由来にもなっている一級河川の加古川が流れています。この川は、大雨などにより水位が上がると、川の近くに住んでいる方達に度々避難指示が出されます。市はそのため、防災計画として、家の立ち退きとともに河川の工事をおこなっています。私の家は川から少し離れているため、大雨が降っても大きな影響はなく、立ち退き対象にはなりませんでした。登下校の時に河川の工事が進んでいるのを見ても特に気にとめていませんでした。
ある日、父から川の鯉が閉じ込められているという話を聞きました。河川工事の際、閉じ込められてしまったらしく、私は家族で見に行きました。河川工事は、川幅の拡張に伴い、工事車両の通り道を作るため大量の土砂を入れ、埋め立てを行っていました。しかし、土手近くは土砂が埋まっていないところがあり、そのせいで長い大きな水たまりが出来て、そこに鯉が五~六匹閉じ込められていました。私は、父と鯉を見に行ってから、鯉のことが気になって、それから何度も見に行きました。水たまりは長く大きいとはいえ、川とは分断されており、水量が日に日に減っています。鯉は身体の一部を水面から出し泳ぎにくそうにしていました。このままでは、鯉が死んでしまうと思った私は家族で鯉を捕獲し、主流の川へ逃がしました。
私はこのことがきっかけで、鯉を助けられた安堵感の一方、私達を水の脅威から守ってくれる工事は、川に住む小さな生き物の犠牲の上に成り立っているんだという罪悪感を抱きました。私は、今まで自分達が安全に過ごすために、人間以外の生き物の住処や命を奪ってしまっているのだと考えたことがありませんでした。しかし、実際は身近で私も知らないうちに命を奪ってしまっているのだと思います。
私にはどちらが正解なのか分かりません。川の氾濫による危険から人々を守るのか。自然をそのままの姿で残し、生き物たちの命をつなぐのか。どちらも大切なことだと思うからです。人は一人では生きていけません。誰かに支えられて生活しています。そしてそれは自然も同じだと思います。海や山、そこに住む生き物や植物がなければ人は生きていけません。私は、放たれた鯉が大きな川で悠々と泳いでいる姿を見て、時には脅威にもなりながら、生き物たちの命を育んでくれる河川を人工的に崩す以外の方法を探っていきたいと思いました。そうすることが、水の恩恵を受けて命を紡いできた私達の使命だと思いました。そして、大雨や川の氾濫で命を落とした人々、その家族のためにできることではないでしょうか。
遠くない未来、誰もが川を見て脅威や悲しみを感じるのではなく、穏やかで安心した気持ちになれるような社会を築いていけることを願います。
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