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更新日:2026年2月6日

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3度の危機(戦災、老朽化、震災)を乗り越えて

物語2

1902年に建設された第4代兵庫県庁舎は、「明治建築として残すべき」との県民からの声に支えられて、神戸大空襲、老朽化、阪神・淡路大震災の3度の危機を乗り越えてきました。

創建から約40年間は兵庫県庁舎として、戦後復興後の約30年間は分館・南庁舎として、そして迎賓館へと改築して以降は現在の兵庫県公館として、3度その役割を変えながら、活用されてきました。

兵庫県公館の明治建築としての歴史的価値は、新たな役割を果たすことで高まっており、活用することによって歴史的な建築物を保存するLiving Heritage(リビングヘリテージ:生きている遺産)のモデルとなっています。

1 神戸大空襲(1945年3月17日)

神戸大空襲の焼夷弾によって、2つのドーム(正庁、議事堂)を有した優美な姿の第4代兵庫県庁舎は、壁だけを残して屋根などが消失しました。

屋根が焼失した第4代兵庫県庁舎

壁のみとなった正庁

次の雑誌記事から、廃墟となり撤去の危機に直面したものの、県民の声を受けて、記念すべき明治の遺構として修理保存するに至った経緯が分かります。

「昭和20年3月17日戦災にあい、壁体を残すのみにて、ほとんど廃墟と化した。戦後、当事者間に撤去の説もあったが、県民有志の間には愛惜の声もあり、県会はついに記念すべき遺構として修理保存すべきと議決した」

(「建築と社会」Vol42 No.10(昭和36年10月)より)

戦後復興の予算や資材確保が難しい中、北側(1948年11月~1949年6月)と南側(1951年4月~1952年3月)の2回に分けて復旧工事が行われました。南側正面の屋根も、丸みを帯びたものから直線的な様式に変更するなど簡易化も図りながら、復旧工事が行われ、1952年4月から兵庫県庁舎の分館(1964年より南庁舎に名称変更)として使用されるようになりました。

2 南庁舎の老朽化(1985年4月17日)

1952年の戦後復興の復旧工事によって、事務室として約30年間利用される中で、建物の老朽化が進んでいきます。そうした中、1981年1月に兵庫県の新たな施策として、南庁舎を“オペラの殿堂”とするべく生活文化センターへの移転・建替計画が発表されます。

しかし、建築をはじめとした専門家を中心に「明治期の代表建築の一つであり、文化的価値も高い」との県民の意見が高まり、1981年6月、「神戸の建築を考える会」から兵庫県に対して「現地保存、創建当時の外壁等への復元、県民に開かれたかたちでの再利用」などの要望書が出されました。

そして、兵庫県議会自民党及び社会党から「南庁舎は明治文化を代表する建築物の傑作であり、文化価値、都市景観の上からも現状保存し、活用方式を検討すること」との申入れがなされています。

こうした動きを受けて、兵庫県は有識者による「南庁舎保存利用構想懇話会」を立ち上げ、議論を重ねた後、1983年に「南庁舎は明治以降の県政発展の歴史を刻んできた建物であり、明治期の代表的建築物として文化的価値が高いとの評価を受けているこの建物を県政のシンボルとして保存し、“迎賓館部門”と“県政資料館部門”の2つの機能に再生させ、活用を図る」との基本構想がまとまり、現在の兵庫県公館の機能が決定しました。

その後、南庁舎を迎賓館とするべく改築が進み、1985年4月に竣工、2003年1月には、国の登録有形文化財に登録されています。

改築後の兵庫県公館

3 阪神・淡路大震災(1995年1月17日)

迎賓館として生まれ変わった兵庫県公館も阪神・淡路大震災で被災しますが、震災10年前の1985年に行った改築時に、壁面の赤レンガを鉄筋コンクリートで補強するなど、新耐震基準と最新技術を駆使して、改修・補強を行っていたことにより、大きな被害を免れました。

このため、国の災害対策本部の現地本部が兵庫県公館に設置されるなど、震災からの復旧・復興の拠点としての役割を担いました。

赤レンガを鉄筋コンクリートで補強

兵庫県南部地震非常災害対策本部現地対策本部設置

(第二会議室)

    

 

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