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南玄関から入ってエレベーターで3階に上がると、かつて正庁と呼ばれ、式典や儀式を行った天井の高い部分を活用したロビーがあります。現在は、海外要人をお迎えする場として、また、西側の壁面には小磯良平画伯のタペストリーがあり、式典後の記念撮影の場などに利用しています。
3階ロビーは、創建当時の図面には「正廳」と記載されており、かつて式典や儀式などを行う大広間のような「正庁の間」でしたが、迎賓館への改築時に壁を取り除き、ロビーとして整備しました。
京都府旧庁舎には、当時のままの「正庁の間」が保存されており、大阪府、神奈川県、京都市などでは「正庁の間」の復元が行われており、重要な場であったことが分かります。

神戸新聞(1998年2月3日)において、創建当時の写真とともに「兵庫県庁舎明治四十年ごろの神戸市街。同三十五年、気鋭の建築家、山口半六氏が設計した兵庫県庁舎(現県公館)が建ち、ドーム型の洋館が異彩を放った。海辺の居留地、神戸港に停泊する船舶が発展する神戸をあらわしている」と紹介されています。
この「正庁の間」の窓からは多くの船が行き交う神戸港を見ることができました。
その風景は、兵庫県公館の南側に隣接する神戸市立神戸生田中学校に、閉校した神戸小学校(1884年(明治17年)12月開校)の記念碑が立っており、「百船の つどう港を みはるかし まなびやたてり 神戸の名 とわにたたえつわれひとの 仰ぐまなびや」と校歌が紹介されています。
南庁舎を迎賓館へと改築する中で、坂井時忠知事(当時)が小磯良平画伯に迎賓館にふさわしい絵画の作成を依頼しました。小磯画伯は、第4代兵庫県庁舎が誕生した1902年(明治35年)にちなみ、今も当時の面影がしのばれるメリケン波止場の風景を画材としました。原画を描くにあたり、小磯画伯に師事していた西村元三朗画伯と石阪春夫画伯が時代考証にあたり、「KOBE THE AMERICAN HARBOUR」という原画作品が描かれます。
そして、タペストリー制作にあたっては、原画から下絵が作成され、京都の織物会社の手により、縦糸が麻、横糸を絹で綴れ織った西陣織に仕上げるため、始終、小磯画伯の監修を受けながら、約100日かけて原画の25倍の大きさ(縦3.5メートル、横5メートル)のタペストリーが完成しました。なお、原画は兵庫県公館に展示されており、また、下絵は神戸市立小磯記念美術館に収蔵されています。
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