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更新日:2017年9月6日

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平成29年9月センター長メッセージ(神戸県民センター長 谷口 賢行)

神戸新開地演芸場 応援プロジェクト

  

喜楽館披露 「新開地に寄席をつくってほしい」。
 商店街のある若大将から上方落語協会に送られた手紙には、熱い想いが綴られていたそうです。
 桂文枝会長がその想いに応えようと、新開地を訪れてから3年余。紆余曲折はありましたが、去る8月16日、演芸場を運営するNPOが中心となって起工式が行われました。
 式には、知事、市長も出席。文枝会長をはじめ、桂きん枝師匠、桂あやめ師匠など上方落語協会の皆さんも駆けつけられました。
 建設場所は、新開地駅北側の商店街に面した敷地。建物は天満天神繁昌亭と同規模で、約200の客席数です。来年3月頃に工事は完了、同夏のオープンが予定されています。

 公募していた名称も併せて発表され、『神戸新開地・喜楽館(きらくかん)』に決まりました。
 1,046通の応募の中から、文枝会長とNPOの高代表が相談のうえ選ばれたものです。演芸場で、「喜」び「楽」しんでもらおうと。また、気楽に足を運んでもらいたいとの願いも込められました。かつて新開地にあった娯楽施設の聚楽館を由来として、亭ではなく「館」としたそうです。
 知事からは、「新開地 喜びと楽しみ 発する館つくらん 市民期待す」と、喜・楽・館の字を詠み込んだ短歌の披露もありました。

昭和30年代 新開地は、明治38年、旧湊川の河川跡にその名のとおり、新しく生まれた街です。旧湊川は、当時の国鉄がトンネルで通り抜けていたほどの天井川でした。高い堤防で神戸の市街地が東西に分断されていたため、湊川隧道を掘削して新湊川に付け替えられたのです。
 新開地の最盛期には、映画館や芝居小屋が大小20以上も軒を連ね、「東の浅草、西の新開地」と称される繁華街でした。東京の帝国劇場をモデルとして大正2年に建てられた聚楽館は、「西の帝劇」とも呼ばれ、館内には映画館やスケート場があり、多くの人々で賑わっていました。
 昭和7年には、喜劇王チャールズ・チャップリンもこの地を訪れています。新開地のシンボルゲート“BIG MAN”が、山高帽を被った男のシルエットになっている所以です。

起工式 文枝会長は、チャップリンを深く敬愛しておられます。天満天神繁昌亭に続く第2の上方落語の定席を、周囲の反対にも関わらず新開地で進めてこられたのは、地元の熱意や、親交のあった井戸知事からの支援もさることながら、チャップリンゆかりの街であることも無関係ではないようです。
 それは、“喜び楽しむ”はチャップリンが喜劇に込めた想いに通じると、演芸場の名称に「喜楽」の文字を選ばれたことや、“BIG MAN”の前で記者発表をされたことからも窺えます。
 この文枝会長の思いは、『神戸新開地・喜楽館』の運営方針にも表われています。起工式で、「神戸はチャップリンも訪れたおしゃれな街なので、落語だけではなく、夜にはジャズや演劇などで楽しい劇場になると期待している」と語っておられたように、昼間は落語が上演されますが、夜は貸館となります。天満天神繁昌亭のように落語家以外は舞台を踏めないわけではなく、一般の方も利用することが可能な施設となります。

 かつて多くの芝居小屋や映画館で賑わっていた新開地も、落語が上演されていた神戸松竹座が昭和51年に、聚楽館も昭和53年に閉館するなどし、今では大衆演劇の新開地劇場と映画館を残すのみです。
 『神戸新開地・喜楽館』は、神戸松竹座の閉館以来、約40年ぶりの演芸場の復活となります。地域の活性化が期待される演芸場を支援するため、神戸県民センターでは、多くの皆様からのご協力をお願いしています。詳細は以下のホームページをご覧ください。
 どうかよろしくお願い申し上げます。

 ふるさとひょうご寄付金「神戸新開地・喜楽館応援プロジェクト」の募集開始について

 

 

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