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更新日:2022年4月8日

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水害を報じる神戸又新日報

 湊川を現在の流路に付け替える直接のきっかけとなったのは、明治29年8月の大水害でした。この水害では湊川の堤防が100メートルにわたり決壊するなど、大きな被害となりました。この災害対策は当時の新聞で、「神戸市目下の急務」と報じられています。

被害の状況

神戸又新日報 明治29年9月1日

明治29年9月1日付けの新聞「神戸又新日報」では、神戸市付近を襲った水害が大きく報じられています。記事によると、浸水家屋約三千戸、溺死者約三十名、その他甚大な被害を被り、湊川堤防の復旧工事は、神戸市目下の急務とされています。また、こうした被害を防止するための「湊川付替事」の必要性が指摘されています。
 
 
資料:神戸市立中央図書館蔵

水害の範囲

神戸又新日報 明治29年9月2日

浸水した地区
 荒田町:1丁目及び2丁目
 福原町:多聞通り、上橘通り3丁目及び4丁目、橘通り3丁目及び5丁目6丁目
 中町:一圓、古湊通り(一圓)
 相生町:1丁目より6丁目まで
 川崎町:神戸鉄道構内
 
 
資料:神戸市立中央図書館蔵

救助の様子

神戸又新日報 明治29年9月2日

出水当夜の福原仲の町において、警官が船に乗り救助している状況
 
 
資料:神戸市立中央図書館蔵

 

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