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更新日:2023年2月27日

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兵庫津ミュージアムの整備について(アーカイブ)

兵庫県では、平成31年3月に策定した基本計画に基づき、令和元年度より“兵庫”の歴史と魅力の発信施設「県立兵庫津ミュージアム」の整備に取り組み、令和4年11月にグランドオープンしました。このページでは、当時の整備方針等をアーカイブ掲載しています。

 

最新情報については「兵庫津ミュージアム公式HP」をご覧ください(外部サイトへリンク)

 

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~兵庫津(ひょうごのつ)~

兵庫津(神戸市兵庫区沿岸部、市営地下鉄海岸線「中央市場前」駅周辺のエリア)は、平安時代末に平清盛が日宋貿易のために修築し、室町時代には足利義満の日明貿易の拠点として栄えた港です。もとは行基が整備した摂播五泊(摂津国~播磨国にかけての五つの港)の一つ、大輪田泊で知られていました。

兵庫津は、古くから航路として利用された瀬戸内海にあって、六甲山系によって北西の季節風が遮られ、西からの荒い波が和田岬によって防がれ、さらに水深に恵まれた天然の良港だったのです。

安土桃山時代、織田信長に対し謀反をおこした荒木村重を攻撃し、花隈城を落とした池田恒興はその功により村重の所領を与えられますが、恒興は花熊城に入らず、より海に近い兵庫津に兵庫城を築きます。江戸時代になると、この地は尼崎藩の所領となり、城内の御殿を用いて陣屋が置かれました。西国街道(山陽道)も通り陸海の要衝だったこの地は、後に幕府の直轄地(天領)となり、陣屋を縮小して兵庫勤番所が置かれました。

江戸時代、兵庫津は人口2万人を超える大都市でした。北前船が運搬する様々な物資の集散地であり、北風家や高田屋などの豪商や発明家の工楽松右衛門など活躍しました。また、朝鮮通信使やオランダ商館長一行の宿泊地でもありました。

陸海の重要地だった兵庫津は何度も合戦の場となり、また大地震の被害を受けました。そしてその度に、復興を成し遂げてきました。

幕末の動乱期、兵庫(神戸)開港を経て国際貿易港としての地位は東の神戸港に譲ることとなりましたが、明治以降、兵庫津は産業の拠点として日本の近代化を支えました。太平洋戦争、そして阪神・淡路大震災による被害を乗り越え、時代の変化とともにみなとの形態を変えながら、発展を続けてきた兵庫津。その重層的な歴史を今に伝える史跡が街の中に点在しています。

兵庫津のまち、清盛塚

~兵庫津から五国へ~

明治新政府にとって初めての外交問題となった「神戸事件」。優れた判断力と交渉力、語学力でその処理にあたった手腕を買われ26歳で初代兵庫県知事になったのが、伊藤俊介、後の初代内閣総理大臣、博文です。初代県庁舎には兵庫勤番所の建物が用いられました。慶応4年5月23日(1868年7月12日)、廃藩置県に先立って設置された第1次兵庫県は姫路藩、豊岡藩はじめ諸藩領に属さない散在する幕府直轄地を管轄するだけの小さな県だったのです。

明治4(1871)年断行された廃藩置県に伴う統合改編(第2次兵庫県)を経て、明治9(1876)年に全国で実施された県の統合により、播磨一円を管轄する飾磨県、豊岡県のうち但馬全域と丹波の多紀・氷上の二郡、そして淡路が名東県から切り離され、それぞれ兵庫県に統合され、ほぼ現在の県域が定まりました(第3次兵庫県)。これにより、面積は9倍へ、人口は6倍以上に増大し、五国からなる「雄県兵庫」が誕生したのです。

初代県庁看板

~「兵庫津ミュージアム」の検討経過~

このように兵庫津は千年以上の昔から国内外との交易によって栄え、明治維新に至り初代の兵庫県庁が設置された「兵庫県のはじまりの地」です。このため、地域のアイデンティティともいえる歴史的資源を活かしたまちの活性化の取組みが阪神・淡路大震災以前から地域主体で積み重ねられ、その中で、「初代県庁復元構想」が検討されてきました。

<経過>

阪神・淡路大震災前から地元主体で調査、研究に取り組む

 

平成21年初代県庁整備検討委員会報告

“県・市が連携し、初代県庁舎の整備に向けた具体の取組みを”

 

平成30年3月県庁発祥の地記念事業検討委員会報告

“「初代兵庫県庁の復元」と「県政資料館的施設」の併設が望ましい”

 

平成31年3月「県立兵庫津ミュージアム(仮称)基本計画」の策定

~県立兵庫津ミュージアムのねらい~

兵庫県では、これまでの検討経過を踏まえ、この地において、兵庫県の成り立ちや兵庫五国の歴史、文化、産業等を学び、体験・体感する「県立兵庫津ミュージアム」を兵庫の魅力発信と県民のふるさと意識醸成の拠点として整備します。

長く陸海のネットワークの中心であった兵庫津、そして兵庫の価値を、広く発信します。当地には、様々な歴史資源が残り、地元で歴史を語りツーリストに解説する活動もあり、地域活性化のための各種事業も行われています。「県立兵庫津ミュージアム」は、これらの利点を最大限に活用する施設としたいと考えています。

ここにしかない歴史を、工夫をこらした展示を通じて多くの方々にわかりやすく伝えることで、県民のふるさとへの誇りや県内外の兵庫ファンの増加につなげます。また、兵庫津を中核に、県内の有形無形の歴史資源や多様な魅力をさまざまな単位・テーマでつなぎ、学びや体験、地域活性化の基点とします。

<施設の基本理念>

県内外の多くの人が訪れ、交流する

『ここにしかない歴史を発見し、兵庫ファンを増やす拠点施設』をめざす

~整備する施設の内容~

県設置時の歴史空間を体験する復元施設「初代県庁館」と、県の成立ち、歴史・文化・産業など県の魅力を理解する展示施設「ひょうごはじまり館」を一体的に整備します。

 

区分

県立兵庫津ミュージアム

復元施設:初代県庁館

展示施設:ひょうごはじまり館

規模

延床:498m2(平屋建)

延床:4,029m2(地上4階建)

開館

令和3年11月3日 令和4年11月23日

料金

一部有料

(初代県庁館並びにひょうごはじまり館常設展示室及び企画展示室)

内容

  1. 現存する「兵庫勤番所絵図」等に基づき時代考証を行い、歴史空間を体感する施設として復元。
  2. 復元を基本に、その範囲内で一部活用できるよう利便性も確保。
  3. 勤番所を復元した「県庁舎」には初代知事(伊藤博文)の執務室等を再現。
  1. 歴史ミュージアム機能をもった兵庫県のPR施設として整備。
  2. 千年の歴史を誇る港兵庫津の歴史、独自の過程を辿った兵庫県成立の歴史、変化・多様性に富む兵庫五国の魅力を展示・発信。
  3. 研修交流機能や情報プラザ機能等も備える。各関係機関とのネットワークを重視。

主な施設

県庁舎、取次役所、旧同心屋敷、旧船見番小屋、長屋門など

展示室(常設、企画)、ダイナミックシアター、ライブラリー、研修室、事務室など

兵庫津ミュージアム全体パース(左側:初代県庁館、右側:ひょうごはじまり館)

【コラム】初代県庁の建物って?

明治に時代が変わってからの庁舎ということで、洋館をイメージされる方もおられるかもしれません。しかし、前述のとおり、幕府の直轄地であり、廃藩置県に先立って急ぎ設置された兵庫県の初代庁舎には、勤番所の建物が使われました。ここに県庁機能が置かれたのは数ヶ月であり、2代目の県庁舎は現在の神戸地方裁判所の敷地場所に新築されています。

この兵庫勤番所が実際にあったところは現在新川運河となっていて、建物は全く残っていません。兵庫勤番所絵図が残っており、これをもとに、他地域の類似の建物の事例などを調査、時代考証などの検討を行い、復元設計に取り組みました。

~施設の整備場所~

勤番所が実在した場所の近くで、まとまった敷地が確保できる中央卸売市場跡地(神戸市有地)の東側の一部に整備します。(神戸市から土地を無償貸与)

マップ

~開館に向けて~

整備スケジュール

初代県庁館(復元施設)

令和2年度から3年度に建設工事を行います。※令和3年11月3日に開館

ひょうごはじまり館(展示施設)

令和2年度から4年度に建設工事と展示制作を行います。※令和4年11月23日に開館

魅力ある展示に向けて

3つの展示テーマを幅広い世代にとって分かりやすく伝え、多くの人々にその面白さを体感していただけるよう、グラフィックだけではなく、体験型コンテンツを用いた手法の展示を検討しております。

  • テーマ1千年以上続く国際貿易港の奥深い魅力
  • テーマ2激動の幕末・県の成立とその後の歩みのドラマ
  • テーマ3ひょうご五国の多彩な歴史、魅力

運営体制

ひょうごはじまり館が開館する令和4年度から、民間事業者のノウハウを活用した効率的な運営や訴求力の高いPRを行なうため、指定管理者制度による運営を開始します。

なお、資料の収集・保管や学校連携等を行う学芸部門については、県が有する知見やネットワークを活用して、兵庫五国が有する多様な地域資源の魅力を更に高めていくために、指定管理業務から除き、引き続き県において実施していきます。

お問い合わせ

部署名:企画部地域振興課
電話:078-362-4031
FAX:078-362-3950
Eメール:chiikishinkou@pref.hyogo.lg.jp