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5月らしいさわやかな好天となった5月28日、昨年ご逝去された霊長類学の世界的権威、河合雅雄先生を偲ぶ会が丹波篠山市立田園交響ホールで催されました。当日は先生を慕う多くの人がホールを訪れました。
会では弔辞に続き、追悼映像の上映や篠山少年少女合唱団の皆さんによる河合先生の愛唱歌「手のひらを太陽に」の合唱がありました。次いで、参加者全員による献花が行われ、その後、遺族代表の先生のご長男、河合透氏よりご挨拶がありました。
篠山少年少女合唱団の皆さんによる「手のひらを太陽に」の合唱(名誉市民河合先生を偲ぶ会)
ご挨拶のなかでは、最期まで探究心旺盛だった先生の日常や、『与うる者は泉のごとくあれ』(与える人は自分を湧き出る泉であると思い、見返りを求めてはいけないという意味)という、先生のお言葉、モットーをご紹介いただきました。
会の後半には、先生をよく知る5名の方による座談会が行われ、先生のお人柄を伝える様々なエピソード、思い出話が披露されました。出席者のなかには、先生を「森のにおいがしてくるような人」だったと懐かしむ方もいれば、先生を「弱きもの小さきものを慈しむ心」をもった方だったと仰る方もおられました。また、人間を自然の一部と考える先生の「共生」の理念の意義を説かれた方などもいらっしゃいました。会場の皆がこうしたお話を聴き、時には頷いたり、微笑みを浮かべたりしながら、ありし日の河合先生のことを偲んでいました。座談会が進むにつれ、会場は前半の厳粛な雰囲気とはうって変わって、和やかな空気に包まれていき、最期は笑みをもって先生を偲ぶ、素晴らしい会となりました。
河合先生は、お亡くなりになるまで30年以上にわたって、兵庫県政の推進にご尽力いただきました。丹波では、丹波の森公苑長、丹波の森大学学長をお務めいただき、丹波の森構想の精神的支柱となっていただきました。人と自然と文化の調和をめざす構想の理念を先生は皆にわかりやすく説いていただきました。
その河合先生が何よりも気にかけてくださったのが、次代を担う子供たちの育成でした。河合先生は、丹波の森づくりを『我々の後を受け継ぐ子どもたちを本当に健全な心身に育てていく一つの大きな試み』※1と仰っていました。そして、丹波篠山の野山を駆け巡り、生き物と戯れたご自身の少年時代の経験をもとに、子ども達が自然のなかでの生きる力や感性・美意識を養うことの大切さを説いてくださいました。
そんな先生の想いを形にした取組が、丹波の森協会が2002(平成14)年度よりはじめた「丹波縄文の森塾」(外部サイトへリンク)でした。これは、人間と自然が最も密接な関係にあり、自然の恵みの中で生きてきた「縄文時代」を子ども達が体験することで、自然や生命の大切さを体で感得できるプログラムとして生まれました。
第1回丹波縄文の森塾では、小学4年生~中学3年生13名が、丹波の森公苑の里山等で夏休み期間中の縄文キャンプを含め、年6回にわたって体験活動に参加しました。子ども達は縄文時代の食生活体験や火起こし、縄文土器づくり、どんぐり細工などに挑戦するとともに、植物観察、天体観測、魚のつかみどり、間伐体験・炭焼きなどを通じて、丹波の豊かな自然にふれました。
縄文土器づくり(丹波縄文の森塾)
当時、テレビ番組のインタビューに応じた河合先生(当時丹波の森公苑長)は、次のように丹波縄文の森塾の目的を語っておられます。
『大きくいうと(目的は)3つあります。〈中略〉縄文の人たちは、まったく自然に依存して生活していた。そういう体験を通じて、自然に対して理解を深める。人間の生き方の基本を知るということ(が、1つ)。もう1つは、われわれ日本人のルーツは縄文人。そういう古代の歴史を知るということ。そしてもう1つは、子どもはファンタジーが好きでしょ?大昔の人はどんなファッションをしていたのか、何をもっていたのか、そういう夢のあることを経験してもらうということ』
このご発言から、河合先生が子ども達に寄り添って、丹波縄文の森塾を想像力、空想力をかき立てる楽しく、面白いプログラムにしようと考えておられたことがうかがえます。
丹波縄文の森塾は、その後形を変えながらも、現在まで継続して実施されています。令和4(2022)年度までの過去21回の参加者はのべ598名にのぼります。令和4年度の募集は、小学3~6年生を対象に実施され、30名の定員を上回る多数の応募がありました(近年人気が高くなっています)。5月の開塾以降ほぼ毎月プログラムがあり、7月には縄文土器づくり体験が予定されています。第1回の時と比較すると、農作業体験などが加わり、より多彩な活動内容になっています。
ツリーイング(丹波縄文の森塾) 里山の探索(丹波縄文の森塾) 水生生物調査(丹波縄文の森塾)
プログラム第2回目の6月18日、参加した子ども達に職員がミニインタビューを試みました。以前から参加していた子どもたちからは、山登り、尾根歩きや土器づくり、弓矢づくりなどの工作が楽しかったとの感想が寄せられました。また、『何回参加しても、何か違うことがあるので面白い』といった、絶えず変化する自然と向き合う丹波縄文の森塾ならではのコメントもありました。
18日当日のプログラムでは、プログラム外の梅の実採りが一番盛り上がったそうです。棒で木から実を叩き落とす子、実が残っている場所を指示する子、落ちてきた実を拾う子と、誰に言われた訳でもなく、皆で役割分担して、梅の実採りを楽しんだそうです。
梅の実採りを楽しむ子ども達(丹波縄文の森塾)
河合先生は『子どもの本性は群れて遊ぶこと』※1だと仰いましたが、このように自然と群れて、何でも遊びに変えてしまうのが子ども本来の姿なのでしょう。そして、その本来の姿でいることが、主体的に考える力、生きる力を育むことにつながるのでしょう。今も丹波縄文の森塾の運営には、河合先生の理念がしっかりと受け継がれています。
令和4年度からは、丹波縄文の森塾の人気を背景にそのアドバンスド・コースとなる「縄文の森ユース躍動プロジェクト」が始まりました。これは中高生、大学生等が縄文里山文化への理解を深め、丹波の森の再生(グリーンリカバリー)や生物多様性の確保につながる縄文里山林の整備・活用のあり方を学ぶプログラムです。参加者は、今後、丹波縄文の森塾をはじめとする自然体験学習、ふるさと学習等におけるチューター、指導者としての活躍も期待されています。
プロジェクトでは、参加者が丹波の森の再生を考えるうえで知る必要のある「植物」と「動物」の実態について学ぶ機会を提供します。「植物」コースでは、森林再生・景観の見方・調べ方を学び、森林手入れの方法を体験します。「動物」コースでは、野生動物の生態や行動についての講義と現地での行動観察などで、被害実態や共生について学びます。現在、動物コースでは8月2日~5日に開催する3泊4日の野生動物生息調査等(「丹波の森ワイルドライフ講座」(外部サイトへリンク))への参加者を募集中です。植物コースも近く募集案内を行う予定です(丹波の森協会のホームページ(外部サイトへリンク)で告知します)。
里に下りてくる野生サルの群れ センサーカメラが捉えた野生の鹿の群れ
今回、プロジェクト・リーダーを務めておられる上甫木昭春(かみほぎ あきはる)丹波の森研究所特任研究員にお伺いすると、プロジェクトは3年計画で段階的に発展し、最終年度には、森林の再生ゾーニングや循環的な管理計画を参加者に提案してもらう予定だそうです。また、参加する中高生、大学生等への期待をお聞きすると、将来、丹波の森の再生に向け、地域で継続的に活躍する人材(もりびと)になって欲しいと仰っていました。
上甫木 昭春 丹波の森研究所特任研究員
縄文の森ユース躍動プロジェクトは「丹波2050地域ビジョン」のシンボルプロジェクトの1つに位置づけられています。県民局では、今後里山づくりを推進する「アクティブ・フォレスト・プロジェクト」など他のシンボルプロジェクトとの連携も図り、縄文の森ユース躍動プロジェクトの修了者を次のステップに誘っていきたいと考えています。
今後、縄文の森ユース躍動プロジェクトには、丹波縄文の森塾をはじめとする子ども達の体験プログラムと大人が関わる一般プログラムの間をつなぐ架け橋的な役割を期待しています。幼少期から大人になるまで、そして大人になってからも、自然と親しみ、自然と人間の関わりをいつでも学べる環境が整うことで、丹波の森構想のめざす、森を生活のなかに取り入れる「森林文化」の醸成が進むと信じています。かつて河合先生は、「森林文化」を「森遊び」と形容され、『丹波の人には全て「森遊び」を身につけてもらおうと考えて』※2いると語っておられましたが、プログラム・プロジェクトの充実が「森遊び」の達人の輩出につながるよう関係者一同これから努力していきたいと思います。
※1 河合雅雄「自然と人間」、河合雅雄監修・(財)丹波の森協会+中瀬勲編『もり ひと まちづくり-丹波の森のこころみ』、学芸出版社、1993年、pp.27-48.
※2 河合雅雄「丹波の森構想」、丹波篠山市編河合雅雄先生追悼記念誌』、丹波篠山市、2022年、pp.22-29.(原典は『河合雅雄名誉公苑長講演集』)
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