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更新日:2018年3月20日

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平成30年3月センター長メッセージ(神戸県民センター長 谷口 賢行)

神戸の街を洪水から守る

 神戸の市街地を流下する表六甲河川群の中で、最大の流域面積を持つ河川は新湊川です。
旧湊川 その源は六甲山系の再度山。烏原川と石井川が合流、さらに天王谷川と合流して新湊川となり、河口で苅藻川と合流して大阪湾に注いでいます。普段は水量の少ない川ですが、ひとたび雨が降ると六甲山の水と土砂を押し流してくる急流河川で、幾度となく溢水、氾濫を繰り返してきました。過去に三度、大きく流れを変え、古い順に古湊川、旧湊川、そして現在の新湊川へと至っています。

 古湊川の流路は定かでなく、平清盛が旧湊川へ付け替えたとする伝説が残っています。
 旧湊川は、石井川と天王谷川の合流点付近から、現在の湊川公園から新開地方面へ流れていました。花崗岩の風化によって生じた土砂が六甲山から運ばれるため、旧湊川は天井川で、高さ6mもの堤防が市街地を分断し、交通や経済活動の障害となっていました。また、土砂が堆積して港の機能低下を招いているとの危惧や、洪水も頻繁に発生したことから、付け替えの必要性は早くから指摘されていました。

 契機となったのは、明治29(1896)年の大水害でした。堤防が100mにわたり決壊し、大きな被害を受けます。この翌年、付け替え工事に着手。5年の歳月を費やし、石井川と天王谷川の合流点下流の菊水橋付近から会下山をくり抜いた湊川隧道を経て、刈藻川に合流する新湊川が誕生しました。
 この事業は、地主や商人、実業家が加わった湊川改修株式会社によって行われ、費用は旧湊川敷地を整備・売却した収益で賄う計画でした。旧湊川敷地は、後に映画館や芝居小屋が集まる新開地へと発展していくことになります。
 この新湊川への付け替えは、同時期に行なわれた神戸水道事業、兵庫運河開削と並び、神戸における明治期の三大土木事業といわれています。

水害 しかし、その後も大雨時には鉄砲水が流出し、たびたび洪水に見舞われました。昭和13(1938)年の阪神大水害後、国直轄で改修が始まりましたが、物資の不足もあり、事業は進みませんでした。
 戦後、県の事業として引き継がれますが、菊水橋から下流は人家が密集しており、ほとんど未改修の状態でした。そのような中、昭和42(1967)年に再び豪雨が襲い、大きな被害を受けます。この災害を教訓に、抜本的な治水対策を急ぐこととし、河川改修とともに治水ダムの建設を計画しました。

 昭和46(1971)年、新湊川水系における最初のダムとして、天王谷川上流に「天王ダム」の建設に着手し、昭和56(1981)年に完成します。「天王ダム」は、平常時は水位が低いので、貯水池を緑と水辺の空間として利用することが可能で、テニスコートやグラウンドなどの施設を整備しています。

ダム写真 さらに、平成12(2000)年には烏原川に「石井ダム」の建設に着手し、平成20(2008)年に完成します。「石井ダム」についても、ダムの上に遊歩道や展望台、上流に公園を整備しており、レクリエーション空間として利用が可能です。また、神戸電鉄や六甲全山縦走路に近接する立地で、多くの人の目にふれることから、堤体のデザインが配慮され、構造物としての魅力が高められています。

 神戸電鉄鵯越駅から六甲全山縦走路を東方面に進むと、烏原川に架かる橋より「石井ダム」の勇壮な姿を見上げることができます。神戸電鉄の鵯越駅と鈴蘭台駅間の車窓からも眺めることができます。
「石井ダム」が果たす~神戸の街を洪水から守る~役割に思いを馳せながら、ご覧いただけると幸いです。

 神戸県民センター長 谷口 賢行

 

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