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更新日:2015年6月1日

史跡・寺院・文化財

姫路市

姫路城 姫路市本町68TEL:079-285-1146

白鷺が羽根を広げて舞う姿に似ていることから別名「白鷺城」とも呼ばれており、世界文化遺産に認定されたのは記憶にあたらしいところである。
 天守閣と3つの小天守からなる連立式天守閣で、幾層の屋根を連ね、白漆喰総塗龍造の壁に唐破風などのアクセントが添えられた姿は芸術的である。
 はじめて姫路城が築かれたのは正平元年(1346)、赤松貞範が築城したと言われている。その後、羽柴秀吉が天正9年(1581)に三層の姫路城を完成させた。
 現在の姿になったのは池田輝政の手により、慶長6年(1601)から8年かかって5層の大天守を結んだ壮大な城郭を築き上げた。
 昭和31年からは8年がかりで「昭和の大修理」が行われた。


書写山円教寺 姫路市書写2968TEL:079-266-3327

姫路市の西北、標高300メートル余りの書写山の山上にある。円教寺は康保3年(966)に性空上人の開基と伝えられる天台宗の寺である。京都から遠い土地柄ながら皇族や貴族の信仰が厚く、訪れる天皇や法皇も多かったと伝えられている。円教寺境内は国は史跡に指定されており、大講堂、食堂、常行堂、護法堂、金剛堂などの建物、釈迦如来、両脇侍像、四天王像などの彫刻は国の重要文化財で、県下一の文化財の宝庫でもある。
 奥の院から先には、鮒尾坂の分かれ道、磨崖仏や弁天堂、行者堂があり、北斜面中腹には如意ヶ滝がかかっている


 魚吹(うすき)八幡宮 姫路市網干区宮内町 TEL:079-272-0664

地元では通称「津の宮」として親しまれている。神功皇后が三韓からの帰還のときに 魚吹津に泊まり、神託によりこの地に社を造営したと伝えられている。宮の西入口に30尺の大鳥居があり、継ぎ目なしの一本柱の花崗岩造りである。拝殿入口の欄間彫刻の透かし彫りは、繊細な彫りで華麗でもある。社前の12支燈籠は石清水八幡をまねている。また、唐門の衛士、狛犬も非常に珍しいものである。


お夏・清十郎比翼塚(慶雲寺) 姫路市慶雲寺前町10-1TEL:079-222-3918

お夏・清十郎物語といえば、姫路に欠かせないロマンの一つであり井原西鶴や近松門左衛門が書いたことでも有名である。濡れ衣を着せられた清十郎が処刑された後、お夏は尼になって清十郎の菩提を弔ったといい、その寺が慶雲寺の久昌院である。死後、現世で結ばれなかった2人のために村人達が2つの小さな墓を並べて建てた。それが比翼塚と呼ばれている。この寺は姫路城主池田輝政が姫路城築城の資材をわけて本堂を再建した。毎年8月9日・10日には、お夏・清十郎祭りで賑わう。


男山千姫天満宮 姫路市山野井町1-3TEL:079-291-1550

徳川二代将軍秀忠の娘である千姫は、本多忠刻とともに姫路に移り住み10年間姫路城で幸せな日々を過ごしたと言われている。天満宮の信仰が厚かった千姫は朝夕、西の丸の廊下から天満宮を拝んだのであろう。


広峯神社 姫路市広峯山52TEL:079-288-4777

天平5年(732)吉備真備が朝廷に願い出て建てたのがはじまりといわれ、素戔嗚尊、五十猛命などが祭られている。神官は鎌倉時代幕府の御家人となり、この地方に大きな勢力を持った。本殿と拝殿などは重要文化財であり、鎌倉時代以降の古文書も神社に保存されている。
 毎年4月には、神殿前に仮田をつくり、苗を植えて今年植える稲を占う「お田植え祭」が行われる。


松原八幡神社 姫路市白浜町甲396TEL:079-245-0413

灘のけんかまつりで知られる松原八幡神社は天平宝字7年(763)に建てられたと伝えられている。度重なる兵火で焼失したが、のち赤松政則が社殿を再建してその竣工 祭に米200俵を寄進したとき、氏子たちは喜んで米俵を担いで御旅所まで行列したのが、祭りの神幸のはじまりとなったという。けんかまつりは毎年10月14日、15日に行われるが、御輿は神功皇后の乗る御座船を意味しており、御輿を打ち合わせる勇壮な姿も、風波のために船の舷が触れ合う様子をしのぶものとされている。


播磨国総社 姫路市総社本町190TEL:079-224-1111

延暦5年(786)に兵主神を小野江に移し、のち射楯神を合祀し、さらに養和元年(1181)に播磨16郡の174の大小社を併せて、播磨の総社となった。国ごとに設けられた総社は、新任の国司が国内の諸社を巡拝するのを省略して国府近くに建てたものといわれている。神社が現在の地に移ったのは天正9年羽柴秀吉が播磨を平定した頃である。神殿の特色は、東殿に射楯大神を、西殿に兵主大神を祭り、中央は空殿であることである。


大塩天満宮 姫路市大塩汐咲1-50TEL:079-254-0980

菅原道真公が祭神であり、有名なのは毎年10月14日、15日の例祭に演じられる獅子舞である。獅子舞奉納は鎌倉時代にさかのぼり、当時の神事のなかで面掛神事、獅子舞・屋台練りが今も行われている。この獅子舞は、神楽獅子でなく、野獅子の生態を模写した荒獅子舞で、獅子は頭から尾まで熊毛で覆われた毛獅子8頭であり、それぞれ2人が入って演じる。


飾磨の天満宮 姫路市

播州には菅原道真を祭る天満などが多いが、飾磨にも多くあり、中でも有名なのが、恵美酒天神、須賀の宮の天神、津田天満神社である。
 恵美酒天神は、夷天神で、漁師の神として戎神を祭り、道真を併せ祭るようになった。道真公逗留の地であったと伝えられている。
 須賀の宮の天神は俗に浜の宮といい、池田輝政からこの地を与えられ、道真公月見の地だといわれている。
 津田天満神社は網敷天神と言われており、道真公が上陸したとき、腰を下ろすのに敷物がなかったので網を敷いたのに由来するといわれている。社宝として保存されている「風景と詠歌」は道真の直筆と伝えられ、重要文化財となっている天神縁起絵巻は永仁6年(1298)に藤原親泰が奉納したもので、全国に残っている天神縁起絵巻のうち 3番目に古いものとされている。


英賀神社 姫路市飾磨区英賀宮2-70TEL:079-239-6921

「播磨国風土記」に英賀里という地名があるが、そこに英賀彦・英賀姫の2神があったとされ、現在の英賀神社の祭神は、菅原道真・英賀彦・英賀姫・誉田別命・天児屋根命の5つの柱である。現在は、英賀城主三木通近が嘉吉元年(1441)に黒岡山の天満宮を移し、別所八幡を合祀したものである。この神社の由緒を物語るものとしては、重要文化財の梵鐘があり、室町時代奉納の「天神縁起絵巻」や永禄10年(1567)銘のある鬼瓦がある。


勝山町丁(よろ)古墳公園と瓢塚 姫路市勝原区勝原町

昭和36年から宅地開発されるにあたり行われた発掘調査により、山裾の横穴式石室古墳、谷の奧の古墳からは金張り製品の副葬品などが発掘された。北の山上にある「山の古井戸」と呼ばれる石室は、正方形に近い特殊な横穴式で、高句麗式古墳として珍しい。現在は、6基の横穴式石室が古墳公園として勝山町の一角にある。瓢塚は、唯一の前方後円墳で全長約100メートル強、前方幅約36メートル、後円部直径約55メートル、高さ約5メートルの規模であり、円筒埴輪も出土している。


マルトバ遺跡 姫路市家島町真浦(西島)

西島南方の浜に10数基の石積みの墳丘がある。


チンカンドー遺跡 姫路市家島町宮(本島)

家島本島に7世紀前半に作られたとみられる珍しい長持型の石棺がある横穴式古墳が見られる。


万体自蔵苑 姫路市家島町宮(本島)

本島宮地区の山上にあり、数多くの地蔵尊が奉納され、多くの信者が参詣している。ここから眺める光景はすばらしく、春には桜の名所としても親しまれている。


家島神社 姫路市家島町991TEL:079-325-0365

1200年に近い歴史を持つこの神社は、菅原道真公ゆかりの神社であり、毎年7月 24日・25日に天神祭が行われる。壇尻船では笛や太鼓が奏でられ、獅子舞も奉納される。


恵美酒神社 姫路市家島町      

坊勢島奈座港の西突端にあり、883年より以前に建立されたようだが、詳細は不明である。
 祭神は蛭子大神で、毎年11月には島をあげて盛大な秋祭りが行われる。


冨田山性海寺 姫路市夢前町宮置TEL:079-335-1988

播磨国内の33寺を選び「はりま西国」と名付けられた、一番の札所が書写山円教寺で、2番目の札所が性海寺である。
縁起によれば、奈良時代の徳道上人の開基と伝えられ、本尊は十一面観音である。江戸時代前期に村の長者衣笠・有賀氏の協力を得て、天台宗の智琳が再興したという。


置塩城跡 姫路市夢前町宮置字古城跡1005

置塩城は、後期赤松氏の本城で、藤丸城とも呼ばれている。文明元年(1496)、 赤松政則が、堅固な自然に守られた山城として築城した。中世の城としては、全国屈指の名城であったが、天正5年(1577)赤松則房が豊臣秀吉に降伏して、今は城跡を残すばかりとなっている。


弥勒寺 姫路市夢前町寺1051TEL:079-335-0330

長保2年(1000)、書写山円教寺開山の性空上人が隠棲の地として草庵をつくり、 同4年、花山法皇が行幸して勅命により、巨智延昌が諸堂を建立したと伝えられている。本堂は天授6年に赤松義則が建立したもので、国の重要文化財に指定されている。本尊の弥勒仏は、平安中期の特徴がよく出ている。


上山古墳群 姫路市夢前町

上山古墳は、古墳時代後期の横穴式円墳で、直径15メートル、高さ2.6メートルある。古墳上部の盛土は流れ去り、巨石が露出している。


須加院常福寺と毘沙門天堂 姫路市香寺町須加院420TEL:079-264-2605

戦国時代に荒れ果てたものを雲松寺の僧侶実伝が元禄年間に再興し、現在の体をなした。1799年に寺の裏山で経塚が発見され、瓦製の阿弥陀如来・地蔵菩薩・五輪塔などと瓦経500枚が発掘されたという。ほとんどは失われたが、瓦経の残片と拓本が残っている。国の指定文化財として東京博物館に保管されている。
 また、奧須加院の北には毘沙門天堂があり、制作時期不明の75センチメートルほどの石像毘沙門天立像が祭られている。そばには行基の作品ではないかという伝説のある薬師如来もある。


八徳山八葉寺 姫路市香寺町相坂1068TEL:079-232-0349

播磨西国三番札所であり、行基の開基といわれているが、平安時代の儒学者で漢詩文の大家でもある慶滋保胤が出家してここに堂を建立したのが始まりとされている。
 天台宗の寺院で、本尊は十一面観音、奥の院は鎌倉時代、奥の院厨子は室町時代のものであるとされ、県指定文化財とされている。


片山古墳 姫路市香寺町土師字片山366

自然地形を利用した前方後円墳で、後円部の大きさは、直径約20メートル、高さ約3メートルで、市川流域に遺された重要な歴史的遺産として評価されている。主体部構造の詳細は不明だが、竪穴式石室を持つ古墳で、古墳時代中期末ごろのものと考えられている。
 この丘陵上には、ほかにも円墳1基あり、南の丘陵尾根にも古墳が分布していることから、市川西岸の古墳群のひとつを形成していたようだ。


溝口廃寺跡 姫路市香寺町溝口字聖徳山576

圓覚寺の境内に、塔心礎を中心とする残礎の一群があり、そこに古代寺院の塔跡がある。この塔跡近くにある太子堂にも古い礎石が多く転用されていることや、周辺で古い 瓦の破片が多数出土していることから、ここに古代寺院の遺構があるのではないかと考えられている。塔心礎の中央には、柱座穴と舎利孔の二段の丸いくりこみが穿たれており、奈良時代前期に多い心礎の様式となっている。また、「鋸歯文縁複弁式花文軒丸瓦」と「重弧文軒平瓦」が出土しており、創建は白鳳時代と推定される。聖徳太子ゆかりの寺とも伝えられている。




神河町

福本遺跡 神河町

一万年以前の先土器時代から奈良時代に続く遺跡で、県下でも類の少ない重要な遺跡とされている。先土器時代の石器、縄文時代早期の押型文土器、弥生時代中期の竪穴式住居址、古墳時代後期の方型竪穴式住居址、白鳳から奈良時代の瓦窯址群などが出土している。特に縄文時代早期押型文土器の出土例は少なく、縄文の福本遺跡として有名である。

 

金楽山法楽寺 神河町

新西国15番の札所であり、真言宗、本尊は千手十一面観音である。また、この寺は粟賀犬寺の名で知られており、妻と不貞を働き主人を謀殺しようと企んだ僕従が、まさに主人を殺そうとしたとき、二匹の愛犬が主人を救ったという逸話からその名がついたようだ。
 境内は全域がひとつの庭園のようであり、手入れが行き届いた美しい境内である。

 

福本藩陣屋跡 神河町

この地は、明治維新まで、約200年間神崎郡北部の政治経済の中心であった。現在の大歳神社付近一帯が、陣屋形式の藩邸跡である。
 月見灯籠が浮かぶ藩邸跡の庭園や国道沿いに残る武家屋敷、防護を目的とした竹林などが当時の面影を残している。

 

日吉神社 神河町

播磨風土記に昔、大汝命と小比古尼命とが互いに争って、「埴(粘土)をかついで遠くまで行くのと、排便をしないで遠くまで行くのと、この二つのうちどちらがやり通せるだろうか」と言い争い、大汝命は、糞をしないで、小比古尼命は、埴の荷を背負っていくことになったが、数日過ぎて、まず大汝命が「私は、もう我慢できない」と言って、その場にしゃがみ込んで糞をし、小比古尼命も「同様に、私も苦しい」と言い、埴を岡に放り投げたと記されており、この岡を埴岡と呼ぶようになったという。
 この岡の麓に現在、日吉神社が祭られ、神社裏の埴の石には、注連縄が張られ祭られている。

 

立岩神社 神河町

平安時代の延長5年(927)に宍粟郡一宮町の伊和神社より、伊和大明神の分神を戴き、小田原川沿いの高さ約100メートル、幅約200メートルの岩壁、立岩巌の頂きに堂を建てて、祭られている。
 その後、巌の麓の現在の位置に移されたが、境内には、樹齢数百年の杉、檜などの大木が宮の森を形成している。この地は県の環境緑地保全地域に指定されている。

 

長楽寺 神河町

昔は臨済宗の正法寺の末寺であったが、寛文13年(1673)正法寺の黄檗宗派に改宗し現在に至っている。
 十一面観世音菩薩像は、25年目ごとに御開帳法要が行われ、近年の御開帳は、昭和57年4月行われた。等身大の菩薩像は、一木造りである。
 金色に輝く十一面の顔、左手に水瓶を持って直立した姿は、慈悲の深さを表し、西脇の観音さんと親しまれ厚い信仰を集めて

 

上月平左衛門墓碑 神河町

上月氏は、赤松則村挙兵以来、赤松氏の家来として盛衰を共にした。則村が秀吉に置塩城を明け渡した天正6年(1578)ごろから、土着帰農し、平左衛門景吉が、大庄屋として当時飾西神西郡28カ村の長年の利権争いを解決し、亀カ坪山の入山権を確保した。
 その恩恵は現在にいたり、近くの人々が集まり、上月平左衛門の業績を偲んで建てられている。

 

 

 

市川町

笠形寺 市川町上牛尾2042TEL:0790-27-0396

法道仙人が大化改新ごろに開いたと伝えられているが、その後平安時代に慈覚大師が再興し、天台宗の寺として開基したという。
 山岳密教の道場として栄え、全山に多くの堂跡が散在するが、現在は麓に本堂が移されて往時の隆盛をしのばせるのみである。
 明治時代の大火により、蔵王堂を残すのみとなっており、やや原型をとどめた聖観音、毘沙門天、不動尊の三体の仏像が残されている。

笠形神社 市川町上牛尾TEL:0790-27-1080

笠形寺の鎮守として、今から約1300年ほど前に建てられた。現在の本堂、中宮、拝殿は、江戸時代後半に建立されたもので、昭和54年に町の文化財に指定されている。本殿向拝には龍・木鼻の獏、欄間には雪と鶴、脇障子には獅子の滝落としなどの彫刻がある。中宮では、麒麟・獅子・龍、拝殿では鳳凰や鷹、麒麟などが見事に刻まれている。これらは、日光東照宮に源を発し、丹波の中井家一統の作といわれている。

 

岩戸神社 市川町

もともとは福泉寺境内にあり、正中元年(1324)に現在の地へ移されたという。
 延宝2年(1674)には、姫路城主松平大和守が参拝に訪れ、その風致を賞賛したと伝えられている。笠形神社と同じく、巧妙精緻な装飾彫刻が目を引き、特に本殿の牛を引く仙人と樹上に座す仙人の彫刻は見事である。昭和54年には町の文化財の指定を受けている。

 

倉谷古墳 市川町

約1500年前に人の力による盛り土で造られたといわれている、直径20メートル、高さ2メートルの古墳である。
 竪穴式石室、箱式石棺、副葬品の鉄剣・鉄刀・などが出土している。播磨地方でこの時代に竪穴式石室をもった古墳は少なく、完全な形で発見された例も他にはないといわれている。

 

 

 

福崎町

神積寺 福崎町東田原1891TEL:0790-22-0339

天台宗叡山派に属し、正暦2年(991)慶芳上人によって開基された。一条、三条 両天皇のあつい帰依を受けたと伝えられている。
 本尊薬師如来、脇士に文殊菩薩、毘沙門天を安置し、三諦一諦の妙境とした文殊菩薩は田原文殊として親しまれ、播磨天台六山の一つに数えられている。
 慶芳上人が自ら彫り安置したと伝えられている薬師如来座像は、高さ88.5センチメートルの高雅な作風の像であり、国の重要文化財に指定されている。


岩尾神社 福崎町

大国主命などを祭神として、慶芳上人が神積寺を開基する際、この神社へ文殊像を合わせ祭っている。
 現在ある鳥居は高さ3.22メートル、石英粗面質の凝灰岩であり沓石を用いていない。高い割には幅が広く、柱の内転もないのは古調を残した作りで、慶長16年の銘があり、県の文化財に指定されている。


日光寺山 福崎町

大化元年(645)、法道仙人の開基で真言宗、御室派の中本山である。天武天皇の勅願所、小松宮の隠居所として栄えたという。高さ128センチメートルの堂々とした木造千手観音立像を本尊としている。一時衰退していたが、享保年間に明導上人が復興して今日にいたっている。


柳田國男の生家 福崎町辻川TEL:0790-22-1000

もともとの生家は辻川の旧街道に面していたが、今は鈴ケ森神社境内に移築されている。
 柳田国男は、明治8年に松岡家の六男として生まれ、はじめ農政学を修めたが、のち新しい国学としての日本民俗学を樹立した。
 自らが言った「私の家は日本一小さい家だ」という生家は、座敷が四畳半、隣が四畳半の納戸、横に三畳の茶の間と三畳の玄関の四間で、茅葺き屋根のつつましい民家である。また、辻川には、柳田国男が幼年のころ、ここで数万冊の蔵書を自由に読む機会に恵まれたという、県の指定文化財である三木家住宅がある。






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