協働の歴史

更新日:2022年9月13日

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協働のための広報 兵庫県 広報ガイドライン Hyogo Public Relations Guidelines

 

協働の歴史

不況下のアメリカで始まった。

日本語で「協働」と訳される概念「Co-Production」が登場したのは、1977年のアメリカ。1970年代のアメリカといえば、長引く不況下。お金はないけれど、自治体運営もしなければならない。

そこで、実際に地方自治体の経営にも携わっていた政治学教授V・オストロムが、行政の効率的なシステムを実現するため、「消費者が生産者になること」を提案したといいます。

なるほど!なのでProduction(生産)という用語が使われるのですね。

オストラム教授は、行政を効率的なシステムにするためには、「住民」へのまなざしを変えることが重要だといいます。行政関係者は、住民の事を、「彼らは自分の利益(住民として幸せに暮らすこと)を自分で実現するには力不足」と考えてしまいがち。そうではなく、住民に「本質的な共同生産者」として参画を促すインセンティブ(動機づけ)を提供したうえで専門的に機能するシステムが望ましい、と考えていたそうです。

たとえば教育サービスなら、「学生に行政が用意する教育サービスを受けさせること」ではなく「教育を受ける利用者である学生が、自ら積極的に学習するようになること」を考える。

あるいは健康サービスなら、「住民に専門的な保健医療サービスを受けさせること」ではなく、「住民自らが留意して健康になるよう努めること」を考える。そんなイメージ。

 

つまり協働とは、「住民=公共サービスの受益者が、サービスの本質を理解し、自らがその生産者になること」と言い換えることができます。

たしかに、「なんとかしてくれー」という「お客様」ばかりのコミュニティよりも、「自分で主体的にやるので、サポート頼むで!」という「当事者」が多いコミュニティのほうが、より必要なところにリソースを投入できるので、全体として効率的な行政システムになりそうです。

 

実は「協働」揺籃*1の地、兵庫県。

アメリカで生まれた「coproduction」の概念を日本に紹介して「協働」という訳をあてたのは、1990年、行政学者の荒木正次郎氏とされます。荒木氏は、「coproduction」を、「相互に平等な立場で協働しつつ、ある価値を持つ財やサービス生産するための活動」と定義します。

ポイントはふたつ。1.自治体職員と地域住民が平等な立場であること、2.協働は「ある価値を持つ財やサービスを生産するため」の手段であること。

では、目的である「ある種の価値を持つ財やサービス」とは何でしょう?

 

「協働、揺籃の地」兵庫県。さあ、あなたはどんな幸せを、県民と一緒に生み出しますか?

荒木氏の著書では、協働を「自治体政府組織の目標をいかに効果的・合理的に達成していくかの手段概念」と説明しています。そして「自治体政府組織の目標」は、地方自治法によると、「住民の幸福の増進」ですよね。

以上をまとめると、「協働」とは、「地域住民がより幸せになるために、自治体職員と地域住民が共に力を合わせて活動すること」と言えるかもしれません。

そして住民が、「自らそれを実現しようとする生産者」=「当事者」として参画するために有効なのが、広報。いわゆる“巻き込む”広報ですね。

 

ところで、Wikipediaで「協働」の項目を見ると、協働の概略が紹介された後、いきなり、「阪神・淡路大震災」の項目が現れます。「協働の意義が改めて確認されたのが、阪神・淡路大震災であった」「その他の多くの市町村においても協働のまちづくりが一層波及するきっかけともなった」。

実は兵庫県は、日本における「協働」概念の揺籃の地ともいえるようです。実際に2002年には、他県に先駆けて「県民の参画と協働の推進に関する条例」を制定しています。その後、2011年に行われた21世紀兵庫長期ビジョンの見直しでは、サブタイトルに「2040年への協働戦略」の字が躍っています。

さあ、協働を始めましょうか!

 

*1_揺籃(ようらん):ゆりかご。比喩的に、物事の発展の初期の段階。

 

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