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姫路港は、瀬戸内海の交通の要衝として、城下町「姫路」を支える港として発展してきたが、大きく発展したのは戦後であり、公共岸壁の整備と併せ、工場などの立地によって専用施設の整備がすすめられた。また、本港は、近畿のエネルギーの供給基地でもあり、発電所・LNG基地施設等が立地している。野田川の河口に開けた旧飾磨港(飾磨地区)は、「思賀麻江」と称し、瀬戸内海を往来する船はもとより、遣唐使の船も碇泊して賑わった。西暦985年花山天皇行幸のおり「飾万津」と改称され、その後約1千年間内海の航路の要衝として隆盛を極めた。昭和6年主要港湾に編入されて、昭和10年第二種重要港湾指定を実現し、次々と製鋼工場等の工場誘致を図った。また、広畑港(広畑地区)では、半官半民の日本製鉄(現:新日鐵住金(株)広畑製鐵所)により岸壁・防波堤・航路・泊地などの港湾施設が次々と整備される中、昭和14年、当時世界でも有数の千トン高炉に火が入った。太平洋戦争に入り、軍備増強の軍需による急激な生産増強の要請に伴い、本港臨海部の工業化が急速に進み、中断していた飾磨港の改修工事が昭和18年から再開され、広畑港とともに港湾施設の整備が進められた。戦後昭和26年に飾磨港、広畑港、網干港を包含し、姫路港として重要港湾に指定され、さらに、昭和34年4月に開港に指定された。昭和33年、通産省の鉱工業整備地帯として播磨地区が指定されたのに伴い、その中心港として港湾整備5箇年計画(昭和33年~37年)に基づき、飾磨地区の-10m岸壁、広畑地区の航港浚渫、網干地区の防波堤、航路浚渫等の工事に着手した。さらに昭和38年に、播磨地区が工業整備特別地域に指定されるにおよび、播磨地区の中枢をなす港湾として、昭和42年6月、特定重要港湾に指定され、港湾区域も拡大され、現在の姫路港の形態を整えた。また、平成23年4月1日、港湾法の改正により国際拠点港湾となった。
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